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No. 59 鬱を抜け出す 私のケース④〜いまだから思うこと〜

鬱状態から抜け出したい。
また元気になりたい。
でもどうやって?

そう思いながら、自分自身のアンテナにひっかかるものを一つずつ手繰り寄せ、私は元気になる為の〝なにか〟を探し続けました。

心のことや住環境のこと。
ある程度までは楽しく学んでも、もう一歩踏み込み深める気にはなりませんでした。

中途半端

本当にやる気はあるの?

当時はそんな言葉が度々頭をよぎり、自分自身に批判の言葉をかけていましたが、なぜ踏み込まなかったのか、今は理解できるんです。

体にも心にも、目には見えないけれど、生きる為に必要なエネルギーがあるように思います。
本当にヘトヘトに疲れたら体は動けません。
心も同じだと思うのです。

心にも生きる為に必要なエネルギーがあり、それが減って減って、補充されずに減らし続けたら、完全に空っぽになる前に鬱になるのです。多分。
空っぽになったら、きっと息はしていても生きていないような、そんな感じになるのではないか。
だからそうなる前に鬱という状態で、自分の本体を守るのではないだろうか。
だって、あのまま同じ状態で動き続けていたら、私はもっとひどく壊れていたと思うから。

体は怪我をしたり病気になると、その状態で活動が制限されます。
鬱は心が怪我をした状態だと思います。
鬱という症状に出るくらいなので、わりと重傷か重傷になり得る怪我です。
心が「もうだめ。動けないよ」そう訴えているのが鬱です。つらいです。本人は。
体の怪我のように目には見えないので、わかりにくいです。周りにもなかなかわかってもらえません。
それがまた傷を抉ることもあります。

あくまで私個人の経験から思うことです。

そんなわけで、私自身の本能は、その頃の自分の限界を知っていて、ちゃんと制御してくれていました。
頭の中の声〝考え〟ではなく、心が何を〝感じ〟ているのか、何を発信しているのかを優先してくれていました。

心の限界。体の限界。今の自分にできること、できないこと。
どのくらいまでなら無理せずに進めるのか。心はついていけるのか。体はついていけるのか。
今思うと、ゆっくりと無理せずにリハビリをするような感じでした。
 
鬱になる前までの思考が優位だった生き方から、感覚優位に完全にシフトしていた時期です。

頭では「こうした方がいいのでは」と思っても、体が「動かない」のサインを出すし、気持ちは「動きたくない」を「苦しい」という感覚で送ってくる。
そこまでになると、頭と思考なんて全く太刀打ちできません。  
どんなに思考が騒いだって、体の感覚と感情に相手にされないのです。

鬱は、その人を守り、その人が無事に生きる為に、思考ではない本能のような部分がコントロールしている状態なのではないかと想像しています。
それ以上、頭、思考優位で動き続けたらもう危険。というギリギリの状態。
心が多少怪我をしていても、思考優位だとかまわずに動こうとしてしまう。

体の感覚、体に現れるサイン。
それをどんな風に感じるか。
胸の辺りが温かいとか、締め付けられるとか。
心地いいか、不快なのか、嬉しいのか、苦しいのか。

このことをもっと深く理解するのはもう少し先になります。

でも、私は頭の考えや判断だけで、もう動けなくなっていました。
体と心がそれを許してくれない方向に進んでいたのですね。

この時期、まだこういうことには気づいていなくて、頭の中は「もどかしい」「これでいいのか」「だめだよ」と騒がしかったのですが、体と心は確実に必要な方へ私を導いてくれていました。

続きは次回に〜

最後までお読みいただき、ありがとうございます

今日も幸せな一日でありますように


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