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No. 43 息子の取説ください

ここ何回か息子氏が小さかった時のことを書いている。
成長とともに、親側としてはなんだかやりにくくなっていく息子だった。
彼がどうのということではなくて、私の手に余る少年……
気づくと私は無意識に「大変」「わからない」「やりにくい」「疲れる」そんなことを口にしていた。

ある時幼稚園で同じクラスの子のお母さんに
「そんなこと言って。いい子じゃない。何が大変なの?」と言われた。
いい子なのは知っている。
何がって、一言で説明できるようなものではない。
そしたらそこにいた友人が
「お母さんが大変て言うんだから大変なんだよ」
そう言ってくれた。
何が大変なのか? と私に聞いたその人はそれ以上何も言わなかった。
ありがとう……
あの一言には救われた。
それを言った人との間の壁になり、私の「大変」を否定しないでくれて。
実際大変だけど、子供のそんな愚痴を言う自分はダメだな……
そう思っていたから、私の言葉を否定しないで
「そういうこともあるんだよ」と受け止めてもらえたような、
「それでいいよ」と言ってもらえたような気がした。

息子の反応や行動は本当にわかりにくく、理解しずらかったけれど、大きくなるにつれて少しずつ「こういうことなのかも」と繋がっていくこともあった。

息子が小学校1年生の時に、私と息子は夕方どこかに出かけようとしていた。
でも私は家のことで片付けてしまいたいことがあり、息子も宿題があり、じゃあお互いにそれを終わらせてから出かけよう、ということになった。
息子はテーブルの上に算数のプリントを載せてその前に座った。
しばらくして「どのくらい進んでいる?」と声をかけてみると、プリントを目の前にしてじっと動かない。
「あれ、まだ手をつけていないの?」と驚く私に、
「だってさ、このプリントさ」
「うん」
「下の計算をやりなさいって」
「うん」
「命令してる」
(ええっっ)
「じゃあさ、例えば何て書いてあればいいの?」(知りたい……)
「……やりましょう。とか。やってみよう。とか」
「ああ、なるほどー。やってみようならいいんだね」
「うん、そう」

そういう人もいるのだと初めて知った。
プリントからの言葉かけが原因で宿題の手が止まる人がいるのだと。
その後、様々なことを経験しながら息子は大きくなっていくのだけれど、18才になった今になってみると、あの時のあの言葉は……と色々なことが繋がる気がする。

ようするに、「自分がやりたいわけではないことを、人から命令するような言葉で言われたくない、ということではないか?」と私は思っている。

幼稚園入園後の練習保育で、先生に
「パレットに青色の絵の具を出してみましょう」と言われ、
「きいろがいい」と譲らなかった。
そして結局自分の意志を通した。

「ボクはきいろが大好きだからきいろがいいのに、どうして先生に言われた通りに、青を出さなければならないんだ。人に言われて、本当はやりたくないことをしたくない」
と、3才児にはまだ言葉に出来ない思いがあったのか?
「今日は青色を出してみてもらえるかな?」
だったら、息子は抵抗なく青を手に取ったのか?
今となってはわからない。

18才になった今、本人は言う。
「人に命令口調で言われるのがいやだ」

ですよねー。
ようやくわかった。

学校も塾も、宿題やらない王だった。
「ここまでやってくるように」
「これを提出するように」
「いついつまでに提出しなさい」
「ちゃんとやってこい」
こういう言葉の積み重ねも、息子にとっては嫌だったのかな。
そしてやっていかないと怒られるから悪循環でしかない。
面談で注意され続け、おかげで私も「宿題」という言葉は聞きたくない。
そんなに嫌なら無理してやらなくてもいいんじゃあないの。もし困る人がいるなら、それは本人だろうし。
私もそう思うようになり、
いっそのこと「うちは宿題はやりません」宣言をしたかった。

「なんでオレ、こんなに宿題嫌いなんだろう?」
本人も時々そう言っていたけれど、
多分そんなことも原因の一つかもしれない。

ここまで辿り着くのに随分時間がかかった。

わからん、どうして欲しいのか、どうしたいのかわからん。何でこうなるのかわからん。わからなすぎる…。取扱説明書を持って生まれてきて欲しかったと、何度思ったか。

今日、眠そうな顔をして起きてきた息子が言った。
「大学のレポート、今朝までかかった」

今日も幸せな一日でありますように。

Love & Peace,





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