死のうと決めたら生きるのが楽になった話

えぐっております。数か月前に引っ越し、環境が変わり、なかなか上手くいかず、鬱で何もできない日が続きました。1ヶ月前くらいはまじでやばかったです。

日々死ぬことを考えていて、今、仮住まいみたいな感じなのであんまり道具は揃わない。色々方法を考えていて、やはり後遺症が残るのは避けたいので、首つりか、米国で銃を買うか、海で溺死という選択肢が残った。銃はやはり旅行者はだめで住んでないと買えないみたいなので、闇取引するしかなさそうだが。今、人生で初めて海の近くに住んでいるので、いつでも実行できるというのことで、結構気が楽になった。(NANAでナナが言っていたことをすごく実感したよ)ただ、そこそこ綺麗なビーチだけど、この前視察にいったら、冬なのにそこそこ人がいて、海に入っていったら止められそうだなと思った。いつ入っても寒いけど、さすがに夜中に入るのは嫌やし…水着なら怪しまれないだろうけどそれも寒いし(あと持ってないし)

ただ、悶々と悩んでいた時に、急に降臨したんです。これ、私にとっては革命的で、人生が変わるような思いだったので、今苦しんでいる人がいればちと参考にしてほしい。

今すぐじゃなくていい、いつか死のう。いつかは海に入って死のう。もう死ぬことは決めたからこの人生なんてどうでもいいじゃないか。すぐに死ぬんだから。失敗してもすぐに自分で死ぬことができる。うまくいかなくてもどうだっていい!

なぜか急にそんな考えになり、ばーっと目の前が明るくなった。実行しようと決めた時には、まずは、そこで最期を迎えたいようなきれいな海を探しに行こう、と思った。そのことを思うと気が楽になる。死に希望が持てるというか。

なんというか、そこですでに一度死んだような気持ちになった。どうせもう死んでるんだし何があっても良い!みたいな。人とうまくいかなくても仕事が見つからなくてもまあいっか的な思いを持つことが出来た。自分の人生を俯瞰しているような気持ちになり、人からひどいことをされても、お金を損しても、まあすぐ死ねるしハハッで済ませるというか。死を決意したことによって、「もう死んでるし」と「いつでも死ねるし」という思いが共存したようになった。

悟った日から結構経つとこの感覚が薄れてきて、普通に色々と落ち込んだりするので、この気持ちを残しておかなきゃと思い文にしている。自分じゃないものの人生を生きているような感じ。境地に達すれば、嫌いな人にも朗らかにできるし、ムカつく奴にも優しくできる。たぶんね。

それでも落ち込んでしまう時には世界の綺麗な海をネットで探しています。ここは候補にしてぜひ見に行きたいなと思いながら。今はコロナで現実的でないのが悲しいが。良い海を探している間に自殺願望がなくなれば、それはそれでいいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?