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山桜

きみに会うまでは、わたしは独りぼっちで、眠っていたも同然です。…あの連中がわたしを愚鈍だといいふらしたので、わたしも本気で自分を愚鈍なのだと思いこんでいました。ところが、きみがわたしの前に姿をあわらして、この暗い生活を明るく照らしてくださったのです。すると、わたしの心も魂もぱっと明るくなって、わたしは心の落着きを取りもどし、自分だってなにもほかの人に劣らないのだと悟りました。もちろん、きらびやかなところもないし、ピカピカ光ったところもないし、大した品もないが、それでもやっぱり自分は一個の人間だ、心と頭を具えた人間だ、と悟ったのです。

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー『貧しき人びと』1846年/木村 浩訳


あのひとは辛抱強い人でした。

冬になると深い雪に埋まるこの集落では、稲刈りが終わると男たちはみな都会へ出稼ぎに行きます。それは何百年と続く、雪国のしきたりのようなものでした。

夫もみなと同じように、春から秋までは親から継いだ田んぼと山の仕事をし、十二月になると都会の建築現場で人夫をしていましたが、結婚して八年目にようやく一人息子を授かると、どうにもそのそばを離れたくなかったようで、冬の間も村に残ってできる、炭焼きを始めると言い出しました。

四十過ぎて血迷うたかと、親戚や近所のものは口々に言いました。あんたも苦労者をしょい込んだなと揶揄半分の同情を寄せる人、夫のことを怠け者だと言って非難する人もいましたが、周りがどう言おうと私は反対しませんでした。

なぜって…。この土地の訛りはよその人には聞き取れないでしょう? そうでしょう。
その上、吃音のある夫は、都会にいる間はほとんど誰とも口を利かないようで、毎年春になって村へ帰ってくる頃には、言葉を忘れたようになっているのがうんと心配だったのです。

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