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フラムさんのこと
ある年の暮れ、北川フラムさんの講演を聞いた。
私の目の前に立った、テンガロンハットを被って重たそうなコートを着たフラムさんは、すごく大きく見えた。
あのコートの内側には、ゴォォゴォォと音をたてて新潟の冷たい風が吹いているのではないか。
ランプや、つるはしや、方位磁針がぶら下がっているのではないか・・・と勝手に想像がふくらんでしまうのは、彼がほぼ神話の中のひとだからだ。
『越後妻有大地の芸術祭』や、『瀬戸内国際芸術祭』を興し、続けてきた、そういうことが神話の域、みたいな比喩ではなく、能の舞台でシテが登場した瞬間のようなゾクゾク感。
「越後妻有とは、とどのつまり、僻地の、さらにその奥のすさまじい山奥。そこは日本の中心部から見放された流刑の地でもあった。
その貧しさがゆえに、食いあぶれたひとたちを受け入れ、間引きがなかった数少ない場所であり…」
フラムさんの中に広がる壮大な絵巻物のような歴史観が、あの独特な皮肉っぽい声で語られ始めたとき、私は偉大な長老から太古の知恵を聞いているような気持ちになった。
ご本人が美術を通してなされてきたことの驚異は、私には聞き書きさえできないが、ともかく私の想像力は勝手に羽ばたいてしまって、
北のほうのどこかの山奥にかつて巨大な熊がいたとか、
大陸を渡って旅をする狼がいたとか、
干ばつを予言する鷲がいたとか、
そういう存在を目の当たりにしているような気がした。
それくらい、土と風の匂いがした。
プリミティブなことというのは、恐ろしくもあり、だけど同時に、私たちが100年足らずで生きて死ぬだけの存在じゃない、ということを思い出させてもくれる。
何億万年も前のアメーバから私たちの命は繋がっているし、宇宙を巡る星の欠片と私たちは同じ成分でできている。
「美術は、自然と文明と人間の関係を表現するもの」
とフラムさんは言った。
20世紀の都市の病は、ホワイトキューブの中に変に自意識過剰なアートを産み出し、一部のアートファン以外はそんなもの自分とはなんの関係もないと思っている。
一方、限界集落に生まれる美術とはなんなのか。
人間と美術を大地に還す運動を、フラムさんはしているようだ。
疲弊した日本の僻地のさらにどん詰まりで、人類の蘇生の鍵を見出したのだろう。
耕せばうごき憩へばしづかな土
草田男が、終戦の翌年に詠んだ句を思い出した。