ポジティブとネガティブの狭間で
私の頭の中には
いつもシーソーがある。
大抵は真ん中にいて
のんびりと身の回りで起こる出来事を
辛いな~とか面白いな~なんて
感じながら味わっている。
それでも時々
真ん中から左に行ったり
でもまた真ん中に戻って
今度は右に行ったりもする。
実際に皆さんも意識していないだけで
同じだと思う。
真ん中というのは
皆さんの言葉で言うところの
中庸のこと。
そこはフラットな感情の領域で
あってもいいし なくてもいい。
あるけどないようで
ないようなある。
辛くてもいいし苦しくてもいい。
辛い辛いと言いながら
それを感じることを楽しんでるような
そんな感じとでも言いましょうか。
自分はシーソーの真ん中に立って
そこから出ないんだけど
左の苦しさを眺めながら
右の楽しさも同時に感じている。
そんな感じを
自由自在に味わっているのが
私という存在です。
左はネガティブ?陰?
右はポジティブ?陽?…
多分そんな感じだ。
前にも書いたと思うけど
この世界は物理的な作用で
出来ている。
どこを切り取っても
どこまで行っても
この世は物理的な世界そのものだ。
7番より上のチャクラを使うと
世界はそんな風に見える。
3番より下のチャクラばかり使っていると
世界の構造は見えないかもしれない。
でもそれは悪いことではない。
人の興味は様々だし
進む道も自由だ。
それはそれで良いことなのだ。
誰が言ったんだろう。
ネガティブが悪くて
ポジティブが良いなんて。
たまに
グチを言ってすみません。。
なんて言われることがある。
私はキョトンとしてしまう。
グチって言ってはいけないことに
いつからなったんだろう。
どうやら私を通り越して広まったんだね。
私だけが知らずに取り残されています。。
ウツや引きこもりや不登校は
ネガティブな感情を許してもらえず
とことん抑圧した先にある。
ウツを作る方法は簡単だ。
これを何年もしていたら
オーラの光のラインは歪み
もれなくウツや引きこもりになるだろう。
自分の心が疲れてきたら
家の中で感情を吐き出そう。
誰かにぶつける必要はない。
認めらてたがっているのは
本当は自分自身にだから。
私が私の感情を無視したことに
中の私は怒って
無気力になっているんだから。
ポジティブな人は
自分のポジティブさはシーソーの
どの位置のポジティブなのか考えてみよう。
真ん中の位置なら自然体だ。
自分のことをポジティブだとさえ
感じていないかもしれない。
人から言われて
ああそうかな?という程度だ。
シーソーの右側のポジティブなら
同じ質量でネガティブを抱えているだろう。
でないと均衡が保てないから。
自分でいつもポジティブでいようと感じたり
ポジティブの方がいいという信念を持っていたら
オーラの光のラインは歪んでいるかもしれない。
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