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103頁

昔、祖父が使用していた
書斎にある本棚のサイズは
結構大きめだった

しかし、ぼくには
ある種の違和感があった

祖父がなくなったのは
今から約10年前のこと

生きていた頃は
ぼく自身、よく遊んでもらった
もちろん、いまだに憶えていることも
幾つかある

さっき話した
ある種の違和感に話を戻すと

ぼくの前では
ぼくの祖父は
その書斎で
決して本を
一冊として読まなかったということ

まあ、孫であるぼくが遊びに来ている際に
わざわざ書斎に篭って本を読むことは
祖父にとってもたいした意味は
なかったのかもしれない

だが、それが事実であったとしても

ぼく側にある
ある種の違和感が消えることは
やはり、なかった

ぼくは祖父について
彼の1日の生活パターン
今風に云うとルーティンについて
イメージを膨らませてみた

はたして
彼は何時、どんな時に
この書斎で
この大きめの本棚から
どの本を
一冊だけ取り出して
読んでいたのだろう?

10年前のことを
具体的に思い出すのは
今の自分
現在のぼくにも
結構困難であった

しかし、或る
一個目のイメージは作成された
無事に完了した

結論から言おう
祖父はこの場所
つまり、書斎には居ない
祖父は本を読んでいなかったのだ

たったの一度も

ぼくの前で読まなかったのは
単なる偶然の切り取りでもなければ
可愛い孫が家に遊びに来た
という一般的には
最も他人から
人から望まれ易い類の認識でもなく

イメージのなかに居た
祖父の横顔は
歪んだ癖の強い
奇妙な表情をしていた

一言で言えば、気持ちが悪い

この書斎の大きめの本棚の意味
本当の意味を
たった今、ぼくは理解した

彼は、祖父は
読書が嫌いだったのだ

本は読まない、全く
日常的に、全然

この書斎が造られた
ホント理由は
彼の見栄だった
別の言い方をするなら、虚栄心

彼は、孫である
ぼくだけのために
書斎を造り
大きめの本棚を用意した

自分が
本を好きじゃないこと
そんなのは
彼が幼少の頃からの普遍的な事実

その事実が実際
彼の人生に
その後
どんな影響を齎したか

ぼくには簡単、容易に
その哀れな姿、格好悪さを
色鮮やかに
鮮明に
ぼくは思い浮かべることができた

祖父がなくなってから約10年

今となっては
それが幸せなのか、不幸なのかは
よくわからない

そして、一つだけ言えることは

彼は、祖父は
この私
ぼくに
この書斎の大きめの本棚にある
たった一冊の本の中

103頁目に挟んだ小さな
しおりのようなメモ書き

その、丁寧さのカケラも
感じないヘタクソな文字と
稚拙な文章と文字のラ列を
孫のぼくに読んで欲しかったのだ

それを見つけたのは
ぼくが50歳になる
ちょうど一年前、49歳のことだった

メモにはこう書かれていた
たった1行だけ

『私は私を愛してなどいない』

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