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【覚書】川光俊哉さんに講評してもらうと、人生が豊かになる!
10月末の公募用に書いた約20000字の小説(作文?)を、応募した後、川光俊哉さんに講評していただきました。講評と質疑応答の覚書です。
本来なら、出す前に見て頂いて色々直して出すのが利口な気もするのですが、自分なりに納得するところまでやってみたかったので、今回はこういう順序にしました。
もう年の瀬気分なんですけどまだ11月。今年やり残したことをあと1か月で回収して軌道修正して、来年もいい感じに始めたいですね。
俺は今強くなっている!
初めて川光さんに講評していただいたのは2021年2月。ショートショートじゃない小説(?)を初めて書きました。そこから自分なりの勉強をして、11月になりました。前と比べると、指摘の意味がわかるのです。
つまりこういうことですか?→そうだよ になるの!! 進歩じゃない? (もちろん「違う」とも言われてます。わかっております。)
とはいえ、わかってんなら作品をなんとかしてから出せよって話。お手間をとらせて申し訳ございません……!
でも楽しい。単純に、1年前の自分から変化しているのは楽しい。毎日筋肉が少しずつ増えていく楽しさと同じ部分が反応している。小説書いて何になるの? プロになりたいの? 何を目指してるの? だったらもっと真剣にやれば? なんて冷笑に心がやられない。素人でも歌って踊って表現してよいのだ。歌えて踊れる心と体があるのだから。別に私は他人に小説を教えようとしてるわけではないのだし。
槙野の質問
川光さんの講評やお答え
以下は、上記のように太字と引用を使って表記しています。
タイトルがおかしい。
「不」の対義語は「有」ではない。
そこからやらかします、私? まじか?
そうだよ、「不」の対義語は「有」ではないよ!!
……不の対義語って何だ。
私の語彙力このレベルですわ。
ちょっと検索してみる。
「『不要不急の外出』の反対はなに?」→必要火急?
つまり「不」の対義語というか、「不老」「不死」の対義語で取らなきゃいけない。
そして
「『不老不死』の反対はなに?」→生者必滅(しょうじゃひつめつ)
……しらん!
多分、職場の人20人に聞いても、半分も知らないんじゃないのこれ。
しかもこれをタイトルに使うと今度は「意味わからん」になってしまう。
『生者必滅ヴァンパイア』とか言われても、「不老不死」という言葉をイメージさせられないからこれはダメ。
「不老不死」という言葉が元々あって、「でもそうじゃないねん!」を私は言いたいわけ。
ちなみにもっとラノベっぽいタイトルも考えました。『アラカン美魔女社長は、韓流ヴァンパイアに恋をする』とか。さすがにこれも違うよね!
「ユーローユーシ ノ ヴァンパイア」音の響きも字面も気に入ってる。不老不死という言葉をイメージさせられる(と私は思う)。ここで「不」の反対は「有」ではないことがどこまでマイナスになるか? 作者がアホに見えるかも。アホではあるがそう見られたいわけではない。
類型的ウーマンリブフェミニズム小説。
抑制のきいた無駄のない記述ながら、おもしろいところは
ポルノ的興味以外、特にない。おしい。
ポルノ的部分以外に描写が生動しているところもない。
ポルノの描写は生彩を欠いていない。
ポルノ作家を目指すならとめはしない。
おもしろいところがゼロではないんだ、ポルノ的興味は持ってもらえそうなのか、という事実に一瞬心慰められる。
「おしい」って、褒め言葉じゃん(違うよ)。
土曜の午後はジュブナイルポルノの女王 わかつきひかる さんのnoteを延々読んでいました。ポルノにはポルノの型がある。さすがたくさん出版してる方の文章は面白いし為になる。書かない人の読み物としてもおすすめです。私のマガジンにもいくつかピックアップしました。
マガジンもそのうちテクニック的なものと心構え的なものと分けて整理したいですね。
「坂本」がなんの機能もはたしていない。
出た! 私のお得意、壁打ちの壁・男キャラ!
この人がいないと話が転がっていかないし、前に書いてたレベルよりは実際にいそうな感じに書けたけれど、ダメ。だってこの人何も変化してないし、主人公を変化させてないもんな。表面をぷんちゃぷんちゃ押してくれるだけで。小説において必要な「機能」とは? もうちょっと考える。
「佳代」と「ハラム」の関係性がまったく変わらない。小説らしくない。
大団円で無難におさめたいなら、心を鬼にして一度は関係を破綻させるべき。
お 前 も 鬼 に な ら な い か ?
(ちがいます)
私のめちゃめちゃ苦手なことです! 前回も同じこと言われてる!
もう今、誓おう。次書くものに、関係の破綻を絶対に入れる。(破綻で終わったら意味ないんやで! そこ忘れんな!)
次の公募の目標は5月末。大丈夫、いける。
キャラを可愛そうな目に遭わせる覚悟とか、心の問題のような気がする。テクニックとか発想よりも。
……自分の嫌いな人を主人公にして書くのはどうだろう。
その人がズタボロになる感じで、大事な人との関係が破綻するのなら書けるかも。
その後、元の鞘によりいい形で収まるようにもっていけばいい。
……どうやって?
小説の上でよ、創作でよ、自分の頭の中なんだからさ、破綻した関係を元に戻す方法が思いつく人間なら、もっとうまく人間関係構築して生きて来れたことない?
創作以外の問題にも気づかされる創作教室!(9か月ぶり2回目)
語り手(モデル作者)の声と「佳代」の声の判別ができない。
まさに7月に悩んでたところ!! 判別できないとどうまずいのか? さらに質問する。
語り手と主人公の声が判別できない場合、どのような印象を受けられますか? なにかはっきりしない気持ち悪さでしょうか、単に書き手の力量のなさが目につくのでしょうか?
一人称で書けばいいのに
と思ってしまう。
語り手が「佳代」に同情的であることが感じられると
客観的に小説空間を構築できていないような印象をうける。
次の小説は、一人称で書こう……! 少なくとも語り手の意識のコントロールができるようになるまで一人称を練習しよう。
一人称で書くのは苦手。恥ずかしくなってくる。これがまさに語り手がモデル作者であり主人公に自分を重ねていることの証拠では? あーー恥ずかし。
確かに語り手(モデル作者)が透けて見えてて、なおかつ主人公に同情的なのを書くと「願望小説w」の誹りを免れ得ないだろう……。
特に教えて頂きたい点
1.展開の速さや説明不足が気になるところはあるか。
もし、展開の速さなどに問題がある場合、(1)他の部分を削って、同じプロットで進められる余地を感じるか(2)そもそも50枚でやるには無謀な内容か。
(50枚程度という規定枚数に収めるために、入れることを諦めた要素がいくつもありました。)
なにも起きていないにひとしい。
この時間と空間を切りとって読者に提示する理由が分からない。
ごく一般的な価値観を垂れ流しているだけで
ポルノ的部分以外に描写が生動しているところもない。
どの部分が作者の技巧であり、「プロット」なのかまったく理解できない。
プロットがわからん、再び!
さらに質問しました。ここ! ここみんな知りたいことじゃない? え、常識?
言ってみれば、ラストの小説風景から逆算して
シーンを付置できる計画性のことを指摘している。
着想したネタを詰め込むための構造ばっかり考えてましたわ私……逆だわ。
今回同じものを8回書き直したんですよね。たかが50枚を。
そして、その過程でラストの小説風景がばっさり変わっている!!
プロットがちゃんとしてたらそんなこと起きないよ!!
読書において、少なくとも積極的な精読においては
「プロット」「ストーリー」を考慮せず鑑賞することはできない。
精読すら、うまくできてない可能性がありますね、私。
ラストシーンを読んで「ほおぉ、うまくできてるな!」というのはプロットの存在を感じてることになるのかしら。
ところで50枚を8回書き直しって考えようによっちゃ400枚かけるじゃん。いやその計算はおかしい。
根本的に
表現したいことが小説的ではない。
ツイッター漫画か、ブログのほうがあっているのではないかと
真剣に考えてみたほうがいい。
小説ばかりが表現ではない。
さらにプロットの立て方をどうやって練習したらと質問したところ、核心に迫るお答え。
おっしゃる通り。小説である必要はない。
しかし、現状(ネットで)自分の考えを表明するにあたって、縦スクロールウェブ漫画はまあいいとして、何者でもない私のブログなど誰も読まないのである。
なにしろ
ごく一般的な価値観を垂れ流しているだけで
ポルノ的部分以外に描写が生動しているところもない。
なのである。ごく一般的な価値観を垂れ流したいとして、ブログでそれを書いて、果たして何になるか?
もちろん今書いてる小説だって、誰にも読まれていないのは変わらないのだけれども。純文学でもエンタメでもなく、私は「進研ゼミ漫画」的なお話を書きたいのかもしれない。
2.最初から最後まで、一貫した物語となっているか。書きたい内容に対して文章の面での表現力は追い付いているか。
なにを書きたいのか分からない。
書きたいのがウーマンリブ、フェミニズムであり
小説ではないのだとしたら
長文ツイートかブログのほうがいい。
今の私は、少なくともフェミニズム小説を書きたいと思っています!
……多分! 本人がこんなんじゃ、何が書きたいか伝わらないのも無理ないですな……。
小説を書きたいというよりは、「私の話を誰か聞いてよ」という欲求かもしれない。純文学ってもっと自分の心も見つめないといけないのに。たまたま偶然の出会いからこっちの世界を覗きに来て1年経たない今の私には自分の心を見つめる深さも量も足りてないだろう。人生かけてゆっくりやっていくのもきっと素晴らしいと思う。
それ以前の話として私の目標地点「文章力を磨き、会社の広報部門に異動」は変わっていない。あと、会社にあるすべてのマニュアル文書をブラッシュアップしたいんですよね。そういう特任職にしてくれないか。あまりにも日本語破綻している文書が多すぎる。
文章力、表現力は素晴らしいと思う。
やっっったぁああ!!
これは嬉しい。これは、本当に嬉しい。
まあ文章力のある人なんて、いくらでもいるとは思いますが、今は「私が嬉しい」という話をしているので。体重一キロ減って喜ぶ人を見るくらいのスルーをしてください。
2019年の手帳を見返すと、5月から「平日毎朝800字チャレンジ」というのをやっていて、ガントチャートにシールを貼って記録を残しています。結構毎日頑張っている。
2019年5月から2年半経っています。2020年には既にそれは習慣化したことであり、ガントチャートへの記録はやめました。歯磨きしたかを記録に残す健康な大人はいないから。毎朝少し書き散らかすことはもう歯磨きレベル。頑張ってよかったなあとしみじみ思います。
3.応募する文学賞の受賞作や受賞者の作品を読み漁りながら書く行為は「自分(だけ)の言葉で小説を書けるようになるために」望ましいのか、望ましくないのか。
くだらない読みかたはおやめなさい。
いい作品を書くためのお手伝いならいくらでもつきあうが
過去問対策ならよその人のほうがいいと思う。
いい作品を書くことと、過去問対策は違う。
ただし、いい作品を書くにはいい作品を読まなければいけない。
入賞を目的とせずに、「いい」と思って同じ賞(なりレーベルなり作家なり)の作品を読むのならOK? 少なくとも、これは好き、これは嫌い、その理由は……くらいは考えていた。ここに、わかつきひかるさんのnoteで見たような練習を加えてみたいと思います。官能小説に限らず。
4.講評依頼する際の適切なフォーマットはあるのか。
個人的には
36字×30行が一番読みやすい。
これ、皆さん、役に立ちませんか? それとも常識?
私は20字×20行にしてたんですが、次から36字×30行にしようと思いますよ(もう送ってくるんじゃねえ、と思われていたらどうすんの)。
おわりに
川光俊哉さん、私のような初心者に今回も丁寧に教えていただいてありがとうございました。できないことばかりでお手を煩わせておりますが、おかげさまで文芸に触れる面白さを知れた一年になりました。
人生の豊かさを与えてくれるすべての人に感謝を!
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