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弱者支援なら保守もやっている

昔なんかの雑誌で曽野綾子がキリスト教徒で、発展途上国の支援をした経験について話してるのを読んでびっくりしたことがある。あの頃は弱者支援=左翼だと思っていたから。筋金入りの保守のイメージだった彼女が支援活動をするなんて、と思ったんだけど、考えてみればそりゃそうだ。
左翼だって口でだけは弱者支援とか訴えるけど自分では寄付もしたことのない偽善者は多いし、保守だって弱者を攻撃したがる優生主義者ばかりとは限らない。
ましてキリスト教には貧しい者を助けよ、という弱者救済の原則が最初から備わっている。
以前ロシア人の左翼だという人に、「弱者救済の教義があるのにキリスト教をなぜ左翼は攻撃したがるのか、キリスト教徒は資本主義の弱者を助けていないのか」と聞いたことがあるのだけど、彼曰く「キリスト教右派は貧困者を助けるけど、それは悪い方法なんだ。助けられた貧困者は助けた人に感謝するよう強要されるし、それだと社会的格差の根本的解決にはならない」と言っていた。
社会的格差が根本的に解決するなんていつになるか分からないし、支援を廃止されてその間貧困者はどうやって生きていけばいいのか。それに、ホームレスが襲撃されることもある日本からすれば、彼らを助ける伝統があるのはなんて恵まれてることだろうかと思う。
口でだけ「弱者の為を思って」平等な社会を訴えても、今までに一度もそんな社会が実現された試しは無いし、むしろそのスローガンの元に恐怖政治と虐殺が繰り返されてきた。
人間以外でも社会性を持つ動物や昆虫達はほとんどがヒエラルキーを形成して社会を営んでいる。平等な社会を営む類人猿としてよく左翼が持ち出すボノボだって、食物が沢山ある恵まれた土地に生息しているらしい。恵まれた上流階級の者がリベラルを賞揚するシャンパン左翼と同じである。
もうそろそろある程度の格差は所与のものだと諦めて、社会の上層にいる者が下層の者を助ける思想だり美徳だりを認めるべきだと思う。
口先だけの活動家と、保守を名乗っていても身体を張って現地に赴き支援活動をしている方々と、どちらが尊いかなんて言うまでもない。

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