パワハラ上官ナポレオン②:ジュリアン
副官を題材に、ボナパルトのパワハラ上官ぶりを示す例を続けます。
ジュリアン
Thomas Prosper Jullien
1773.12.21 - 1798
ボナパルトとは、トゥーロン攻防戦の時に知り合いました。イタリア遠征の時に、参謀に取り立てられています。
ジュリアンはボナパルトに気に入られていました。
ボナパルトのブラックぶりは、むしろ海軍提督ブリュイに対して発動されたといっていいでしょう。ジュリアンはそれに巻き込まれたというか……。
アレクサンドリア上陸
エジプトに上陸しようとしたボナパルトは、地元の情報から、自分たちが上陸する2日前まで、ネルソンが当地にいたことを知りました。
嵐や地元アレクサンドリアからの攻撃を恐れ、軍はアレクサンドリア近郊のマラブーの浜に上陸しました。
この時点のボナパルトから艦隊への命令は、アレクサンドリア港内へと停泊せよ、というものでした。
→ エジプト上陸
しかしアレクサンドリア港は、水深が浅く、戦艦が挫傷する恐れがありました。ボナパルト率いる陸軍は、アレクサンドリア、さらにカイロへ向けて行軍を開始しましたが、提督ブリュイは、艦隊をアブキールの沖合に移動させました。
ところでボナパルトという人は、クレベールが言っているように、とにかく全てを自分で仕切らなければ収まらない人です。
→ クレベールとの確執2
艦隊の居場所についても、さぞかし矢継ぎ早に命令を下したことでしょう。
陸軍の場合はいいです。彼の命令は逐次的に届けられますから。しかし、海ではそうはいきません。全ては波と天候任せ、第一の命令が届かず、次に出した命令が先に届いた……などということがざらです。
従って船隊への命令も、最初は、アレクサンドリア港内への移動、次に、ギリシャのコルフ島へ向かえ、はたまたフランスへ帰国せよ、と、二転三転したものと思われます。
フランス海軍の提督ブリュイにとって、アレクサンドリアへの入港は論外でした。前述の通り、古い港は水深が浅く、全艦が座礁せずに入港することは不可能です。
次の候補地として彼が考えたのはアブキール湾ですが、ここに入港するには、幾つかの岩礁を削らなければなりません。
ただ、ボナパルトはアレクサンドリア入港にこだわりました。そういうわけでブリュイは、アブキール湾の工事(岩礁の掘削)に取り掛かることもできず、艦隊は沖合に留まっていたのです。
現場は現場の判断に任せるべきですよね! ましてやボナパルトは、海のことには全くの素人です。
それなのにボナパルトは、艦隊は(自分の命令通り)アレクサンドリア港にいると決めつけ(だから、入港したら座礁するんだってば!)、副官のジュリアン大尉を確認に向かわせました。
気の毒なジュリアンは、ナイル河をアレクサンドリアに向かって下り、途中、恐らく水か食料を補給しに下船したところを、原住民に殺されてしまいます。(彼が死んだのがわかるのは、少し後です)
アブキール海戦(ナイル河口の戦い)
いずれにしろ、ジュリアンはブリュイには会えなかったでしょう。艦隊はアブキール沖にいましたから。彼の死は、全くの無駄死にだったといえます。
なお、ジュリアンが虐殺されたのは8月2日と考えられますが(→ wiki)、アブキール海戦でフランス艦隊が壊滅させられたのは、そして、提督ブリュイが勇壮な死を遂げたのは、8月1日でした。
→ ナイル河口の戦い(アブキール海戦)
ああっ! 小説の宣伝をするの忘れた!
ブリュイ提督も出てきます。
各話リンク
パワハラ上官ナポレオン②:ジュリアン(本記事)