パワハラ上官ナポレオン①:クロワジエ
ここでは若き日のナポレオン(本来ならまだボナパルトと呼ぶべきですが)がどのような無茶ぶりを、特に副官達に強いたか、エジプト遠征を題材に追っていきます。
クロワジエ
François Croizier
1773.10.27 - 1799.6.4
最初に挙げる犠牲者は、この方。ボナパルトのイタリア遠征で頭角を現し、ボナパルトの副官として、エジプトにやってきました。
ダマンフールにて
エジプトに上陸し、アレクサンドリアを陥落させ、さらにカイロへ向かっていた頃。ピラミッドの戦いはまだ少し先になります。
ダマンフールの休憩地で、アラブ人の小さな集団がやってきました。フランス軍は、ベドウィンを始めとする現地人に、さんざん、苦しめられています。
ボナパルトは、副官クロワジエを呼び、彼らを撃退するよう命じました。数名のガイドを連れて迎え討ちに出たクロワジエには、しかし、今一つ、精彩がありませんでした。彼は、敵を誰一人として撃ちとることなく、取り逃がしてしまったのです。
副官の戦いぶりをじっと見ていたボナパルトは怒り狂いました。彼の言葉があまりにも厳しかったため、クロワジエは目に涙を浮かべ、部屋を出ていきました。
ボナパルトに命じられ、彼の後を追ったブーリエンヌは、クロワジエが次のように言ったと記しています。
「もはや生きていられない。私は一刻も早く自殺するつもりだ。不名誉なまま生きていくわけにはいかない」
ダマンフールと言ったら、あれですよ。例の軍議が開かれた場所です。何の準備もなく過酷な砂漠を行軍させられて、軍の不満が高まっていた頃です。その不満は、最高司令官であるボナパルトに向けられていました。
→ ダマンフールの軍議
ボナパルトのストレスは、極限まで達していたと思われます。彼はそれを、自分より4歳年下の副官にぶつけた……。
しかしながら、一般にこの話は、ボナパルトが理不尽な怒りを若い副官にぶつけた点が問題なのではなく、異様な様子で退室した副官の後を秘書のブーリエンヌに後を追わせた、ボナパルトの部下に対するアフターケアが賞賛されています。
どう思われますか?
シリア遠征
ヤッファへの砲撃が奏功し、早い時期にフランス軍は、この要塞を落とします。オスマン軍へ降伏を促す使者として選ばれたのが、ウジェーヌ・ボアルネと、もう一人、クロワジエでした。二人はオスマン兵へ、助命を約束します。
しかしながらボナパルトは、二人が連れ帰った多量の捕虜を見て不機嫌になります。そして、誰がこんなことを仕出かしたのかとなじります。
ウジェーヌは、ジョゼフィーヌの連れ子、ボナパルトの養子です。そしてボナパルトは身内に甘い。ウジェーヌのお陰で、クロワジエもまた、これ以上の叱責を免れたといっていいでしょう。
興奮したボナパルトは、即座に捕虜全員の処刑を決意します。
4回の軍議を経てようやく、全員処刑というボナパルトの意志が通りますが、彼らに助命を約束したウジェーヌとクロワジエはどんな気持ちだったでしょう。特にクロワジエは、8ヶ月前にボナパルトにひどい叱責をくらったばかりです。彼の心中が思いやられます。
クロワジエはこの後、アッコ包囲戦で落命します。
各話リンク
パワハラ上官ナポレオン①:クロワジエ(本記事)
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