誰にも迷惑をかけたくない。

この信念はいつできたのだろう?

入院初日、電車に乗ってキャリーバッグで1人で
病院に来た。
父が、大阪の高速で車を走らせることを思うと
胃が3倍ぐらいいたむし、
ハニさんが通勤に合わせて最寄り駅までキャリーバッグを運んでくれたことで、心の栄養は満たされた。
(寝癖かわいい、写メ撮ってうかれる。もしかしてこれは旅行なんじゃないか?と錯覚するテンション@私だけ)
そろそろ、1人の時間もとりたいし、と
自ら望んでそうした。

タイミングよくバスに乗れたこともあって、
ほうほうのていではあったが(これは日本語なのか?)
息切れはしつつも
こころは平穏だった。

そして、部屋が決まり、巣作りをしていると、
ランボーな性格が災いして、
となりで賑やかにしゃべってたおばちゃんずが
急に声を顰めて
「うるさい子がきたわぁ」といった。

不思議だけど、なんでこういう声を

わたしは拾うのがうまいのだろうか。

てめーのお喋りに比べたら
これは終わりがあるうるささだよ。
って心で悪態つきつつも、
お風呂に入るときに看護師さんに
「隣の人、わたしが片付けてるときうるさい子ってってました。できるだけトラブルないように過ごしますが不穏な空気を感じます」と早速告げ口してやった。

わたしは前回の入院からまなんで、

湯沸かしケトルを持参したのだが(これのせいでボストンバックでなくキャリーバッグになった)
となりのおばちゃんが看護師さんに聞こえよがしに
「カップラーメン食べたいんだけど、お湯って病院でもらえないの?」と言ってた。
なので、さっきの看護師さんとまた別の処置で2人になったときに
「となりのは人とは仲を悪くしたくないから、ケトルを貸すくらいなんともないけど、そんな貸し借りしない方が逆にいいのかな」と相談。

案の定、看護師さんは「関わらない方がいいですよ」と助言くれたので、「大人しくしておきます」とお利口さんの返事をしといた。

看護師さんの態度からとなりのおばちゃんは、あまりお行儀がよくないタイプみたいだ。

病院でカップラーメンて。
しかも、となりでバリバリもしゃもしゃとスナック菓子食べてる音もする。

ふーむ。なるほど。
私とは、はなから主義がちがう世界のお方のようだ。

気になるのは自分の態度。
なんでこんなに周りが気になるのだろう。
音を立てないように。
声を出さないように。
迷惑がかからないように。

なんでいつもそのことが第一に気になるんだろう。

生きる気力にしても
「誰にも迷惑がかからない死に方」として
癌はいいなとおもった。
飛び降りたり飛び込んだり
首を吊ったり切ったりしたら
どんなに迷惑がかかるかを「自殺マニュアル」という本で中学の時に学んだ。

なんかドラマチックでさ。
人生について振り返る時間もあってさ。
だれもが「仕方ないよね」て
誰も傷つけない世界の終わらせ方だなって
3年前の告知の時に思った。

なのに、パートナーに思いっきりなかれて
大切な人をこんなに泣かせて
なにが迷惑かけないじゃ!あほか!
としこたま混乱した。

パートナーが「生きる意味に自分はなれないのか」と
言われた時に、
ほんとうに頭を叩き割りたいくらい後悔した。

でも長年育ててきた
「早く死にたい」は、大切な人の涙でも
全部押し流すことはできなくて。

困り感と宿題を残したまま、再発を迎えた。

となりのマナーの悪いおばちゃんにびくびくする
小心者の自分。
世の中、自己主張が強い方が勝ちなムード。
発達障害グレー診断やいじめられる体験もあって
なんだか卑屈な世界観でずっといきてた。

貧乏性とこの歪んだ眼差しは一生治らない気がする。

それでも人のそばを選び続けて
コミュニケーションの学びを続けて仕事にしてまで
なんとか道があるはずだと取り組んできたつもり。

おばちゃんよ、いつ退院するんだい?
わたしはあと3週間もあるよ。うんざり。
戦争はやめて、平和主義で行こう。

もちろん、病院にもこどもニーズカードもってきた。
(知らない人は検索して、まじで素晴らしい発明)

時間はたっぷりある。
睡眠もまだうまくとれないから、
起きているうちくらいは自分のケアに徹しよう。

さて、続きのBL読むか(ぇ)

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