中将 大木繁 (5)『生い立ち』

生い立ち

大木繁(22) 福井 明治21/11/29—昭和22/4/9
陸軍少佐・宮川源七の男 (次男)
後に大木家へ養子 (大木家は、宮川源七の妻サダの実家)
長男の大木天材は陸軍技大尉
明治43年5月 陸士卒 (陸軍士官学校)
明治43年12月 少尉、歩兵36連隊付
大正2年12月 中尉
大正6年6月 憲兵中尉、熊本憲兵隊分隊長
大正7年6月 憲兵練習所卒、朝鮮憲兵隊分隊長
大正9年8月 大尉
大正14年8月 京城憲兵分隊長 (現: 韓国ソウル)
大正15年8月 広島憲兵分隊長
昭和2年7月 少佐、東京憲兵隊付
昭和6年3月 麹町憲兵分隊長
昭和6年12月 朝鮮憲兵隊司令部員
昭和7年8月 中佐
昭和8年5月 大邱憲兵隊長 (現: 韓国テグ)
昭和10年8月 台湾憲兵隊長
昭和11年12月 大佐
昭和12年3月 関東憲兵隊長 新京 (現: 長春)
昭和12年12月 中支那派遣憲兵隊司令官
昭和13年12月 大阪憲兵隊長
昭和15年3月 少将
昭和16年3月 中支那派遣憲兵隊司令官
昭和18年8月 中将、憲兵司令官 (31代)
昭和19年10月 関東憲兵隊司令官
昭和22年4月 シベリア抑留中に戦病死

出典 日本陸海軍総合辞典
( )書きは、筆者による

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