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中将 大木繁 (12) 1945年8月11日『軍令・関東憲兵隊司令部を通化へ移駐せよ』

終戦間際の動静 8月11日 

午後1時

宮本憲兵少尉が、関東軍司令部へ出向き、軍令を受領した。
(ソ連侵攻にともない、憲兵隊は独自性を失い、
8月10日から軍の組織に編入された)
軍令の内容はつぎのとおり

「関東憲兵隊は新京から通化に移駐すべし」

通化までは、満鉄でつながっている。
移動は、新京駅を南下して四平駅へ
更に四平駅を南下して通化駅へ

満州国の南側国境は、朝鮮の北側の国境と接している。
当時の朝鮮は、日本が併合しており、
満州国からの鉄道も併合朝鮮につながっていた。
ソ連は、満州国の北側国境から攻め入っているので、
南に退避するのは正解。
併合朝鮮へ越境することが、最善の策といえた。

満州国の通化駅から、併合朝鮮の北側国境までは
直線距離で約100km。

見出しの写真は、新京の関東軍司令部
写真は、愛知大学の現代中国研究総合データベースからの引用
https://iccs.aichi-u.ac.jp/database/postcard/manzhou/category-39/MX515.html



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