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中将 大木繁 (20)1945年11月21日『チタ収容所』

「日本憲兵正史」と「日本憲兵外史」で一致する記述は「11月21日」の「チタ監獄・収容所」到着である。

日本憲兵外史には、11月21日以降の動静が、日本憲兵正史より詳細に記述されている。以下はその抜粋 (p.1374)。

(引用開始) 
こうしてチタ監獄へ収容された司令部憲兵が、またもやソ連側に取り調べをうけているうちに、奉天憲兵隊要員が到着。

(収容された)日本人約500名は、朝鮮人、白系ロシア人らと、12月19日にチタを出発。一部はノボシビルスク、オムスクで下車(させられた)。主力(大多数)は、カレリナ駅に到着、カサルマンカの収容所に収容された。板張りの収容所を鉄条網で囲んだつくりは、どこも大差ない。

こうしてさらに分散収容された日本人は、各地であらゆる作業を強制され、途中、大木憲兵隊司令官は、病弱者とともに病院へ送られ、ついに再び祖国の土は踏めなくなる。
(引用終わり)

見出しの写真・地図は、中日新聞からの引用
「ハラグン」とは「チタ」にあった監獄・収容所の一つ。
満州国の新京からは、チチハルを経由して、ソ連との国境・満州里を越え、
そこからシベリア鉄道で旧ソ連領を通ってチタへと強制連行された。



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