中将 大木繁 (15) 1945年8月15日 『玉音放送をうけても満州国を北上、 新京を目ざす』
終戦時の動静
(カッコ)内の記載は、筆者の補足
8月15日
大詔が下り、終戦を知った。
(満州国でも玉音放送は聞けた)
関東軍司令部の参謀会議では、戦争継続論が強かった。
関東憲兵隊司令部でも、継続論が強かった。
河村憲兵大佐が関東軍司令部に連絡すると、
「関東憲兵隊司令部は、南下するのも、北上するのも自由なり」
とのことだった。
8月16日
憲兵隊司令部で協議した結果、
「関東憲兵隊司令部は、(満州国の)各憲兵隊に対する指揮権はないが、
(指揮権は 8月10日から関東軍司令部が握っている)
人事権をもっている部下の生死も判明しないようでは、
責任を果たせない」
として、北上を決定した。