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ながーーい夏休み

私が子どもの頃。
暑くても32℃ですこーしぬるいくらいの朝風。
ラジオ体操のヤクルトとかアイスを目的に早起き。
その後ちょっとの雨でも、カンカン照りでも、プール。
友だちとだって、外で汗だくになるまであそんでた。

でも年々夏は暑すぎて簡単には外で遊べない。
友だちとの約束も、口約束から集合してあそんでいた平和な時代は少し薄れてきている。


働いてる親が多い世の中になり、家電と呼ばれる家の電話もなくなりつつある。
携帯が必需品となった今。
子どもと離れてる事に不安なのは、これもまた便利になりすぎた時代のせいなのか?私自身の問題なのか。
「どこにいるのか?何してるのか?」
死語でしょうが…“束バッキー”な人になってる。まさかそんな一面自分にあるなんて…笑

夏休み、子どもは休みでも大人は当たり前に仕事で。
夏休みの約束を決めた。
『5時には帰ろうね、何かあったら連絡して』と子どもに任せたら。
これまた意外としっかりしてて…!
『もう帰るよ』『あっでもみんなまだ遊んでて…私は…約束したから』とまさかの自分の気持ちと約束の狭間で揺れる自分の気持ちまで話してくるようになった娘。
『そうだね、約束したね。でも今どうしたいの?』と聞いたら。
『もう少し遊びたい』っと言えるようになったのには、この平たい四角いパネルに感謝状をあげたい気持ちになった。

課題は宿題

中学年になったから、なんでもかんでも一筋縄でいかなくなってきた所がある。
スケジュール決めてそれ通りやってみる事。
大人から言われてる事に、納得できない事。
でもその気持ちが何なのかわからない事。
自分でもわからない自分の中の感情や行動に戸惑う事。

そんな課題を持ちながら・・・始まった夏休み。
宿題は、親がやるべきものではないし、管理するべきものではないものの…
『怒られたら娘が可哀想』『やるべきことはささっとやる』みたいな私の性格が許さない笑
振り返ると自分はやってたのか?
うーん。どうだったかな。
記憶にあるのは…親には『勉強しなさい』なんて言われなかったから、『もっと言って!』とリクエストしたけれど、言われてみたらすごいうるさくて3回目で『もう言わないで!』ってうんざりしてた。

「あぁそっか。今娘はその気持ちなんだな。わかっちゃいるけど…うーん。」と悩んでる事を5歳の息子に相談してみる。
「おかしゃんさ、ほっとけばいいよ。言わない見ない聞かない🙊🙈🙉」
と言われ笑ってしまった。

まさかここでまさか息子に諭されるとは…!

そう、だから残り見える化して。
『出来るって信じてるよ!ファイトー』だけ言うと、彼女なりに頑張ってやり遂げている。
それはそれは誇らしげな顔で。
いや、最初から100%目指してはいけない。
そう、Step by step!

きっとここから子育てのSTEPアップ。

私の関わりも変えなきゃいけない時。
わかっちゃいるけど、やっぱり習慣化した自分の感情をコントロール出来るほど、私も出来た人間ではない笑

そう親だってStep by step!

でもこの夏休みクライマックス・・・やる気の姿勢が見えない&言い訳ばかりの娘の姿にイライラが止まらずただただ疲労貯金が貯まっていく。

こんな時は本当にほぉ〜っておいてほしいのに。
そこをついてくる旦那。
こうなると始まる“負のスパイラル”
抜け出すのにこんがらがりすぎている・・・これは時間がかかる。

子育てのいいとか悪いとか

他の家族と過ごせる機会も夏は増える。
親戚とか友だちとか。

同じ時間を過ごしていると、『最近こうでさ』っと話が始まる。

そんな時にいつも思うのは
いいとか悪いとかじゃなくて…どう話すと互いに気持ちが上がるか?を言語化していく事の難しさ。

これはもう各家庭違うもの。
良いも悪いも人それぞれ。
よくばーちゃんが言ってた。
“うちはうち、よそはよそ”
まさにそれだと今思う。

SNSや育児本見てもずっとしっくりこなかったのはこれがあったからだったと、先日話していて気づいた。
なんか正解を突きつけられてる気がして、言われてないけど『こうあるべき』って言われてる気がして何か嫌だった。

流行りの服も。
流行りの歌も。
流行りの食べ物も。

正直あんまり興味ない笑
この歳になって自分のしたい事がやっと定まったんだろうとは思う。

だからこそ、挑戦してみたい事⇆したくない事は無理しないでいいと思う。

仕事は別として。
母としても別として。

いちワタシとして。の気持ち。
私はずっと優しい穏やかな、凪のような心にはなれない。
喜怒哀楽を素直に自分に認めてあげたい。
だって、私はワタシだから。

きっと子どもと向き合うって、私自身に向き合ってからのお話し。

線引き

社会に出て1人で生きていく時どうなって欲しいか。

いい大学出て、いい就職先へ。ではなくて。

どんな心を持った子に育って欲しいのか。

もちろん!
運動神経いいといいな。
勉強苦手より好きになってくれたらいいな。
歌が下手よりじょうずだったらいいかな。
英語も話せないより抵抗ない方がいいかな。
と「こうなってくれたらいいな」の想いが強くなる。
それも紛れもない親の思い。
娘には大和撫子になってほしいし、息子には大谷くんみたいになって欲しい笑
でもそれは、あくまでも理想の姿の話。

だけど、そのスキルって何の上に積み重なっていく知識なのか?
少し見直してみたい。
準備ができてないのに、やらせて花を咲かせるのは至難の業だ。
それは親である私たち自身も実感している事。

そう、生き方ではなくて。
“ありがとう”と心から感謝ができたり。
“ごめんね”と相手の気持ちに気付けたり。
食事の時間には座って食べたり。
お箸の使い方頑張って覚えて、所作が美しかったり。
自分の気持ちを人に伝えて、人の気持ちを汲み取ろうとコミニュケーションを取ったり。

そんな人間くさい所。
ココこそ、私たちが先祖代々から受け継いでいる生き方なんじゃないか。
とさえ最近思う。

今から10年先。
お子さんにどんな姿になっていてほしいですか?

お家の中で“これはOKこれはNG”をしっかりと線引き。
子どもの為より、私たち親が子育てしている中で気持ちが迷子にならないように。

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