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遥香の亡命:ショートショート

 2451年9月、アメリカで、シーズン最多安打という不滅の記録が、うら若き日本人ルーキーによって塗り替えられようとしている。
 4世紀半前、同じく日本人によって更新されたこの記録が、やはり同じ日本人の手によって再び更新されるという歴史の前に、日本中が湧きたっていた・・・・

 とき同じくして、この時代、優生思想が根付いていた。この思想を眩しいダイヤのように極限まで研磨した結果、将来に国民栄誉賞の基準を満たす可能性が十分に認められるスーパー遺伝子を持つ若者の子作り相手を、科学的知見に基づいて国家が選定するという、優良遺伝相続制度なるものが誕生したのだった。

 その対象となる第1号の栄誉にあずかったのは、塚本瑛士という弱冠二十歳のスーパースターだった。そして彼は今、アメリカの地で新たな金字塔を打ち立てようとしている。大記録更新まで、20試合を残し、あと10本と迫っていた。




 ここで一つ、言及しなければならないことがある。というのは、やはり4世紀前、世界中で新型コロナウイルスが蔓延し、一度はパンデミックを起こしたが、高度なIT技術による個人情報の追跡が功を奏して、数年のうちに日常は回復したのだが、それから今にいたるまで、たびたび未知の感染症に人類は襲われたのだった。かくして、21世紀当初は、過剰に思われた鎖国制度も、今ではすっかり市民権を得て、永続的に敷かれるべき制度と認知されていた。そうして、国外へ出られるのは瑛士のような例外に限られていたが、生命の保護という点から合憲とされてきた。

 さて、遺伝制度に関して、ことの経緯はまず、憲法への疑念から始まった。2400年、すでにこの制度の構想は、国民投票によって、僅差ではあったものの、過半数を超える支持を得ていることが判明し、与党と政府は実現に向けて奔走していたのだが、どこをどう捻ってみても憲法に抵触するのだった。これはつまり、この制度に対して、20世紀なかばの、もはや原始人にも思える過去の先祖が、否を突きつけているということだった。しかし時代の先端を行く人にとっては、これは誠に奇妙なことだった。なぜ民主政のこの日本で、多数決によって民意が示されているというのに、それが過去の亡霊によって否定されなければならないのか。

 要するに、憲法を改正すればよい訳だが、10年後の2410年、再度の国民投票をもってしても、過半数を超えるのがやっとで、3分の2の支持を得るには至らなかった。しびれを切らした多数派は、社会的圧をかけることで、2420年の投票には5分の3を獲得したのだった。このまま順調にいけば、30年には3分の2を得られると踏んでいたが、蓋を開けてみれば、しぶとく反抗する残党がいるようだった。

 そこで多数派は与党に働きかけ、与党は官僚に働きかけることで、感染症対策の発展に伴って今なお高度な発達を継続している個人情報蒐集技術を利用して、反対票を投じた人々を特定した。2440年の国民投票では、特定した残党員を捕らえて拷問にかけ、賛成票をポチらせた。
 投票の翌日、首相は晴れやかな笑みを浮かべながら、両手を広げ、野党にこう言った。

「野党の皆さん、これが国民の総意です」




———2451年10月、昨晩の試合で262本目の安打を記録した瑛士は今、試合開始間もなく、第一打席をむかえ、時速175kmの剛速球を投じるピッチャーと対峙している。隅々までの全神経を研ぎ澄ませ、ヤマをはった。ボールがリリースされる瞬間を見逃してはならない。

 息を飲んだ瞬間、背中に一筋の汗が流れ落ちるのを感じた。瑛士はごく冷静に、するどい眼光を投手から外すことなく、また一切の表情を崩すことなく、すっと手を挙げてタイムを要求した。

 打席から外れ、ちらりと客席を一瞥すれば、7万の観衆がスタンディングオベーションをして、カメラのフラッシュを瞬かせている。壮大な景色だった。
 再び打席に入った。構えた瞬間、ピッチャーが動いた。これでいい。この無思考。この無思考が俺に安打を打たせる———・・・・

 後ろに引かれたピッチャーの腕が、切るように弧を描く。ボールが放擲さ・・・

『来た!』

と瑛士はしかし、思うことができなかった。

 その代わりに彼の頭をよぎったのは、遥香のことだった。遥香の顔が頭に浮かんだ瞬間、ストライクを宣告する審判の声が、観衆らの瑛士コールの奥から、突き抜けてくるように耳に響いた。


 昨晩の試合後、風呂上がりの瑛士の前に、パニックに陥って泣きすさび、助けを乞う遥香の顔があった。3Dポリゴンの彼女に瑛士は声をかけた。

「落ち着け!落ち着けよ!遥香!気をしっかり!」
どうしたらいいの?どうしたらいいの?と繰り返す遥香。

 その日、瑛士の子を身ごもっていた彼女のもとに、残酷な報せが届いたのだ。そう、遺伝子検査の結果、胎児が染色体異常、つまりダウン症であることが判明した・・・・




 検査結果は速やかに政府のもとへ届けられ、遥香は堕胎勧告を受けた。娯楽の役には立たたないうえに、生まれてくる赤子の将来は我が国の経済活動に多大な負担をかけるため、また子の幸福のためにも、堕胎を推奨する、さもなくば強制堕胎もやむなし、と。
 悲劇はそれにとどまらない。24時間以内には離婚命令が下されるという。懐妊が確認されて直ちに帰国した遥香は、出産後には再び渡米する権利を有していたのだが、これで彼女のアメリカ行きはなくなったのだ。
 彼女は目ぼしい才もない凡庸な女だったが、どういう訳か瑛士の遺伝子と馬が合うと科学者含む専門家集団たちが判断したのだった。その際、瑛士の婚約相手に、同じく世界を席巻していたフィギュアスケートの才女、加里奈を望んでいた一派が、研究所に火炎瓶を投げ込んだ事件があった。今もまだ、似非科学者などと罵る中傷が多発していた。

 すでにネットには検査結果の速報が流れていて、大炎上していた。テレビをつければ、有識者会議に参加していた遺伝学の教授の豪邸が実際に炎上していて、避難して出てきたところを袋叩きにされている映像が流れていた。

 もちろん、こうした騒ぎがアメリカでも多少は話題になっているのだが、膨大な記事の中に一つか二つの記事しかないものだから、スマホをほんの軽くシュッとスクロールしてしまえばもう、その記事を再度見つけ出すだけで一苦労であったし、それだけの労を費やす価値はないだろうというのが大方の認識だったに違いない。目下のところ、彼らの関心を引くのは、450年ぶりに記録が更新されるか否かということだけだった、この熱狂に水を差すようなニュースは歓迎されなかった。





 民衆たちはかくて、スタジアムで騒めき立っていたのだった。しかしあいにく、記録の更新は持ち越された。

 無安打に終わった瑛士は報道陣の取材には応じず、一目散に岐路についた・・・・

———・・・

「遥香!おろしちゃだめだ!」
「じゃあどうしらいいの?」
「亡命しよう」
「亡命?」
「あぁ。東南アジアのどこかで、その子を産もう。金のことは心配するな。信頼できる業者を手配するから」
「無理よ。体がもたない」
「大丈夫だ!俺を信じろ!」
「でも、そんな急なこと・・・無理よ、やっぱりもう無理なのよ」
「無理じゃない。可能性はゼロじゃないんだ。賭けてみるしかないだろう」
黙り込んでしまった遥香に瑛士は言った。
「遥香、俺はその子が泣いて生まれてくるのを見たいんだ。どうしてこの願いが許されない?その子は俺が幸せにしてみせる。安全に出国できるよう、全力を尽くすから、頼む、信じてくれ」

遥香は大粒の涙を幾重にも落として、こくこくと頷いた。しわくちゃのその泣き顔にはしかし笑みも混じっていて、どことなく、明るい希望の兆しが浮かんでいるようだった。

( ´艸`)🎵🎶🎵<(_ _)>