災害対応の記憶
※画像はイラストや様から
列島に梅雨前線が停滞、伊豆熱海で土石流発生、死傷者多数との報道。
被災された皆様・御家族にはお見舞い申し上げます。
熱海の現場で対応中の皆様お疲れ様です。
災害警備出動の記憶を辿る。
隣県で距離的にも近い田舎町、集中豪雨で町の中心部にある警察署まで浸水した大水害に対応した件を紹介。
昭和50年代も終わりごろ、今振り返れば不足だらけ。
災害警備出動が増加したため、広域緊急援助隊(災害救助に特化した部隊)なるものが編成されたが当時はなし。
現場の情報不足、装備品の不足、糧食の不足等々あげつらえばキリがない。
それはさておき、当時の対応状況。
輸送車で現場の町まで行く途中、川沿いの道路の山側、土手のあちこちから勢いよく水があふれ出ていたのを見て何か異常が起きそうなとはだれでも思うこと。
案の定、輸送車が通り過ぎた約30分後、土手が崩壊、通行中の車両数台が崩れてきた土砂とともに川に流されたという情報。土砂崩れの前兆事案とみられる土手からの溢水を初めてみる。
溢れていた水がある程度収まり、被災家屋が姿を現し出した二日目、それまで水が引かず手つかずの状況。
家屋内を捜索中、土砂に埋もれた家屋内に右手だけが突き出ているのを発見。
一見して動かず硬直の状況から、死亡は明らかと判断。
しかし、我々の作業を見ている家族には万が一にも生きているかもしれないじゃないかとの思いがあり。
気持ちを察した隊員、それから二時間休む間もなく、黙々と土砂やガレキを除去、泥濘から仏様を出す。疲労困憊しながらも家族からの御礼を受け快い気持ちになる。
災害出動であるから糧食は限られる。
覚悟の上の警備活動とはいえ、持参した袋入りの飯(長期保存可能なご飯)だけ。
自己完結している自衛隊のような装備は勿論ない。
そんな時、捜索現場に隣町からの方(中小企業の方々)が炊き立ての握り飯を災害警備部隊それも現場活動中の隊員に差し入れしていただいた。
善意に涙が出るほど嬉しかった。
本当においしかったことを思い出す。