平成の中頃、地方都市警察署留置管理係長時代の話。 捕物から留置管理までの2編を。 郊外から農村地帯にかけて自動販売機荒し(自動販売機を破壊するなどして、金員や商品を盗むもの)が多発。 手口(主に窃盗犯が金品を窃取する方法、犯人のやり方)は販売機のドアをバール等の工具で破壊、販売機内のコインメック(硬貨、紙幣が集まる箱)を窃取する荒い手口。 発生は深夜から未明にかけての連続発生。 当時、機動捜査隊、所轄刑事、自ら隊等が血眼で犯人を捜査中、めぼしい容疑者も浮上せず。 手
警衛警備に関連した話。 昭和50年後半の沖縄出動、令和の時代は移動手段が航空機?かもしれないが当時は大型フェリーで船中一泊で沖縄に出動した。 【親族より:昭和58年の「献血運動推進全国大会」かと思料されます】 博多港に各機動隊等が集結、九州管区機動隊大隊長様の訓示まで用意されていた。 博多港ターミナルに出動車を並べるだけでも大手間、さらに部隊を整列させるまで大変な時間がかかるのに何事も型にとらわれる組織はこれを大事として実施する。 散々待たされておえらい方々の話が終
明けましておめでとうございます。 最近まで記事の投稿や推敲を担当している親族が多忙でなかなか投稿できませんでした。 投稿が滞ったまま新年になってしまいましたが、私は元気にしていますし、記事も執筆していますので本年もどうぞよろしくお願いいたします。 さて。新年から物騒な話ですが、元警察官の話。 物騒な話の他はありませんのでご容赦を。 本部鑑識課指紋係勤務時に経験した話。 現場のドタバタぶりと事件発生に順番はないという内容。 昭和から平成になりかけの頃、朝一で某地方
現在の組織体制とは異なるかと思いますが本部鑑識課に勤務した話。 中規模程度の警察署鑑識係員として勤務時に巡査部長試験に合格、次の定期異動で同程度の警察署の地域警察勤務。 そこで昇任して本部鑑識課指紋係に異動。 街頭活動ばかりの者がいきなりデスクワーク、それも緻密な指紋係。 予想だにしなかった異動に内心は動顛。 しかし、職務命令、唯々諾々と従うのみ。 鑑識の主要な部門、指紋と言われ、何を思い浮かべるかと言えば現場に残された重要な資料。 犯罪小説や刑事ドラマとかでも
前回、逮捕状却下として暴力団対策応援捜査の話をしましたが今回はその続き。 逮捕状については一応、計算しなおし再度請求。計算違いだけなので逮捕状は出ました。 逮捕状を得て、暴力団員と周辺者である大物金貸しとを捕まえに行きます。捕まえるのはそれほど抵抗もなくスムースに行ったようです。 暴力団員の方は逮捕されたのが初めてだったようで意外と素直にお縄につきました。周辺者の方が本部の暴力団担当で別の警察署に応援に行っている刑事の名前を出し、連絡を取ってくれと執拗に懇願していたとの
管区機動隊当時に聞いた警衛警備実施中の笑い?話。 ※画像はいらすとや様から 中国地方有数の温泉地で知られる玉造温泉、奈良時代から続く大変有名な温泉地です。 令和の現代は知りませんがその頃、温泉地と言えば必ずある必要悪な店舗、個室式特殊浴場がありました。 玉造温泉にも当然存在しました。 話がそれますが当時でいえば個室式特殊浴場のことをトルコ風呂と呼んでいました、今はソープランドなどと言いますが。 トルコ風呂の由来は元来、熱気浴の蒸し風呂のことを呼んでいたそうです。
この事案、本部鑑識課当時、当時の刑事部捜査二課、今の組対の応援に行かされていた当時の話。 ご存じのことと思いますが当時の刑事部には強行・盗犯専門の捜査一課、暴力団・知能犯(詐欺)専門の捜査二課、あと鑑識課と科学捜査研究所という構成。 まだ、暴力団対策法が出来る前と記憶する。 年に一・二回〇〇組壊滅作戦等と銘打って暴力団がらみの事件を何とか上げろとやるわけ、それで同じ刑事部の鑑識課も協力して人員を出すということでお鉢が回ってくる。 鑑識課でデスクワークやらされていた本職
自ら隊当時の話、当時も検挙検挙とうるさく言われていたある当番日のこと。 当日は実績がある程度、午前中から上がっていた。 深夜、ミニ検問で免許証不携帯を発見、今一つ、脇締めて詰めていれば最後に大物を捕まえ、多分、被疑者移送で手配県まで行けたのに逆に脇の甘さを指摘された一件。 ツイている時はイケイケでやった方が良いという教訓。 その日の当番勤務は午前中から快調で二人乗りの中学生を停めれば自転車盗、午後からは無免許運転、同ほう助を検挙、夜間には薄暮検問で酒気帯び運転を検挙、
先に紹介した反社のカシラに助(すけ)てもらう話と同時期のこと。 先輩巡査長がパトカーの助手席でお地蔵さんになった話。 ある勤務日、巡査部長の私と年上の先輩巡査長で警らという羽目に。 先輩、人は良いが実務はサッパリの人。趣味は色々なテレカ(テレホンカードという電話をかける際に利用できたもの)の収集を語らせたら自分の収集したものをみせるやらで話は尽きない。しかし、もめごと・喧嘩等が苦手。 日頃は駐在所でのんびりとやってる。 その日は地域当直員が不足なのか、先輩の守りが自
競馬競輪競艇オートの公営競技というお上公認のギャンブル、パチンコ、パチスロという準ギャンブル、景品を現金化する換金というシステムでセーフ? 虎の子のお金を蕩尽させるギャンブルが我が国には正々堂々と存在する。宝くじ等もあり、更にはカジノも官許でできる方向?ギャンブル好きには極楽ですな、本邦は。 ギャンブル依存症などと何でも依存症つければ全て病気になる現代。くれぐれもやり過ぎには注意。 色々ある中、サイコロのデメに一番近い公営競技が競艇。 発案者は右翼の大物、笹川良一、発
画像はイラストや様から 情けない話を一席。 現在はコロナ過で繁華街の人出も多くないと思いますがバブル全盛の約20数年前、企業城下町の一地方都市の歓楽街。 全国的にバブルで浮かれており、人出が多く、喧嘩、もめごとその他飲酒がらみの事案事件が結構発生。 事案は反社会組織の準構成員が関西地方からの派遣労働者ともめ、準構成員の方が売り言葉に買い言葉で自分の所属する組織の名前を出して相手をビビらせようと「わしゃ〇〇のもんじゃ」と威厳を持って告げた。 ところが相手はあいにく地元
Twitterに出てた成田警備宿舎の話。思い出すままに。 出動車(大型輸送バス)で二泊三日かけて成田まで。当時の運転担当ご苦労様でした。何せ今ほど高速道路も整備されてないから大変だったと思うよ、運転は。 画像はイラストや様から。 私の時代はまさにこの完装でした。あご紐を結ぶのにコツがいります。 管機在隊中の約3年間に数回出動したがB宿しか知らず、他の宿舎の経験なし。 劣悪極まる住環境、空港敷地内に急増された見てくれタコ部屋状態のバラック宿舎。工事現場の仮設事務所なみ
※画像はイラストや様から。 暑くなりましたね、今回は警察から離れての話。 のどが乾いたら水を飲む。当たり前のことと思うのが今現在の時代です。 一定年齢以上の方には表題の単語を運動中や遠足等の集団行動中、言われてきたと思います。 平成生まれの世代には考えられないかも知れませんが、昭和時代には長く唱えられていました。 多分、江戸、明治、大正、昭和と言われ続けてきたと思います。 遡れば江戸から昭和初期に関しては衛生面で生水(なまみず)が危険という面が大きかったかと思いま
※画像はいらすとや様から。あさま山荘事件の画像なんてあるのですね! 先日、岩手県盛岡市内で児童(だから13歳未満の小学生?)が自分の家の自動車を運転、子供が運転しているとの通報を受け、パトカーが追跡、逃走、信号待ちの車に追突停車、逃げられず補導となったのをテレビのニュースで知りました。 思い出しました、昭和の昔にもありました。 私が田舎の警察署に勤務しているとき、小学6年生の児童が自動車盗を敢行、補導される事案を思い出しました。 その児童、子供の時から車を運転するのが
※画像はいらすとや様から。 公営ギャンブルの話が出ますが競輪というわけではありません。守秘義務のため、なんのギャンブルかは伏せます。 表題の漢字三文字、何と読むかわかりますか?「つつもたせ」と読みます。大多数の方はご存じと思いましたが念のため。 美人局の意味は 男性が妻または情婦に他の男性を誘惑させ、その情事を種に相手の男性から金品を強請り取る。 もと博徒の語「筒持たせ」からというが語源不詳。 美人局の表記は中国の元代、娼妓をめかけに見せかけて年少者をだました犯
※画像はイラストや様から 列島に梅雨前線が停滞、伊豆熱海で土石流発生、死傷者多数との報道。 被災された皆様・御家族にはお見舞い申し上げます。 熱海の現場で対応中の皆様お疲れ様です。 災害警備出動の記憶を辿る。 隣県で距離的にも近い田舎町、集中豪雨で町の中心部にある警察署まで浸水した大水害に対応した件を紹介。 昭和50年代も終わりごろ、今振り返れば不足だらけ。 災害警備出動が増加したため、広域緊急援助隊(災害救助に特化した部隊)なるものが編成されたが当時はなし。