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来るべきチャンスをつかむためにやっておくといいこと。

こんにちは。作曲家・鍵盤奏者の望月ヒカリです。
少しご無沙汰してしまいましたが、みなさまお元気でしょうか?

メンバーシップには、ちょこちょこと日記的なものを書いていたのですが、
とんでもない出来事がやってきました。(随時募集中。お気軽にどうぞ!)

これまでの人生の「点」だった出来事が、全部線で繋がったような、すごいこと。人生、それなりに生きているとそんなことも起きるもんですね。

でも、ここに到達するまでに「あ、あれをやっていたのがよかったのかも」というのは、思い返せば結構あったので、今日はそんな話を。


・まえがき

ふと振り返ってみても、私は音楽を生業にしたい(今のような仕事をしたい)と思ったのは高校3年生の時なので、周りのミュージシャンや、作曲家友達と比べると、結構遅い方だと思います。

それまでは、それ以外のことに興味がありました。でもまぁ、結果的にはそれがよかったのかも?と思うこともありました。

・幼少期のそれ、がよかった。

生まれて初めて憧れた職業(と言えるのかはわかりませんが)は、オリンピック選手でした。大車輪がやりたくて、保育園の鉄棒であれをやるにはどうしたら良いのか?をずっと考えていました。

「あれは男の人しかやれないから無理だ」と母から言われても、
「じゃあどうやったら私は男になれるのか?」と聞き返した私。
この頃から、自分がやりたい事に対して、よほど無理な理由がなければ、
自らガンガン行くタイプだったことがわかります。笑

今なら、時代のそれで珍しく思われないのかもしれませんが、ランドセルも黒が良かったし(もっというとランドセルじゃなくて、自分がデザインをしたカバンが良かった。みんなと同じというのがとにかく嫌だった)スカートよりもパンツ派だったし、好きな色もずっと変わらず紫、青系、モノトーンだし。

こういう考えの私を、母はなかなか理解ができなかったそうです。
ちなみに、母は保育士をしていたのですが、学校で習ったことや教え子の中にも、私のようなタイプはいなかったようで、いわゆる「教科書通り」でないことに戸惑ったそうです。

今の時代に生まれていたら、もしかしたら、いわゆる「グレーな子」という扱いになったのかもしれません。(勉強や運動は割と成績が良い方のタイプではあったけども)自分が子供を持ってみて、より思うようになりましたが、「特性」というものは人それぞれあるんだから、無理に皆と違う部分を正そうとせずに、活かせるといいんじゃないかな。

可能性の話ばかりになりますが、「チャンスを掴むために」の一つに、自分の特性や個性を殺さないようにする、も大切なことになると思います。それと、私は絶対にこれがやりたいんだ!という気持ちを持つこと、というのも。地味だけど大切なのかもなと、このツイートを見ても気がつきました。

https://twitter.com/old47shinagawa

まぁそんなんで、思うことを口にはしていても、それだけでは足りなかった私は、吐き出しきれない部分を「歌にして発する」ということをしていました。言ってもこの頃は「なんなんだー!」みたいな単純なものだったり、多くてもせいぜい4行程度でしたが、今思えば、曲作りの原点はここにあったんじないかな。ロックだな私、笑。

物心ついた時から通わされていた、当時は嫌で仕方なかった某音楽教室も、
こんな形でそれのための基礎にはなっていたんだなあと思いました。(作曲は習っていません)

ただこれは、仕事となった今も、練習としては毎日やっています。中吊りだったり、パパッと目についたワードや電話番号にメロディーをつけたり。

ちなみに今、私のブームは「サウンドロゴ」です。依頼されたときに、その役割が果たせる力をつけたくて。(こういうやつです↓)

・働き方の選択、がよかった。

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