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いかなる花の咲くやらん 第2章第5話 悲しみの帰宅

祐泰の遺体は編駄という板に乗せられて宿所へ帰った。祐泰の母は遺体に取りすがって
「私も一緒に冥土の旅に連れて行っておくれ」と身悶えして声を振り絞って泣き続けた。 父親の祐親も
「同じように矢に当たったのに どうして自分だけ助かったのだ。お前はどうしてあっけなく旅立ったのだ。私のような年寄りが助かって 若いお前が何故」と嘆き悲しんだ。妻は二人の男の子を膝に乗せて
「お前たちよくお聞き。昔、周の幽好王という人が 殷の仲好町に滅ぼされた時、母の摩低夫人の体内に宿っていた子は七ヶ月になっていました。夫人は王に先立たれた後 あまりの悲しさに 体内の子に向かって 『たとえと月に満たなくても 早く産まれて 父の仇を討っておくれ。』と言い聞かせました。その子は八か月で生まれ 七歳十一ヶ月の時に 見事仇を討ち果たしました。 世の人は感動し、その子を国王にしました。お前たちも この話をよく覚えておくのだよ。父を討ったのは 工藤一郎祐経に違いない。二十歳になるまでに 祐経の首を取って、この母に見せておくれ」と悲しみの涙を流しながら、強く 強く言い聞かせた。三歳になったばかりの箱王は 母の言葉が分からず ただ悲しそうな母を 慰めるように 母の頬を撫でていた 。五歳の一万は「 十五歳で父の仇を討ちます。二所権現様 三島大明神様 足柄明神様 富士浅間大菩薩様 氏の大神様 どうか私に力をお貸しください」と父の遺骸に誓った。
祐泰の遺骸は花園山へ運ばれて 荼毘に付された。 三十五日の法要で 伊東祐親は出家をした。一万は父の使いならした鏑矢や鞭などを取り出し、「自分もいつかこれらを使いこなして、工藤祐道を討ちまする」と言った。箱王が「父上はどこへ行かれたの」と尋ねたので、母は「父上は仏となって極楽浄土というとても素晴らしいところで平穏に暮らしておいてです。私もいつかはそこへ行って一緒に暮らしたいと思っているのです」と答えた。すると、すべてを分かっていたと思われた一万が「そうなのですか。それなら今、参りましょう。母上も乳母も急いで 身支度をして私を連れて行ってください。私は父上が恋しくてなりません。早く早く」と母を急き立てた。 集まった人々が一万のいじらしさに心を打たれた。(この子は父の死を本当に理解したとき、本当に仇討ちをするかもしれない。この子が本当に仇討ちをするなら必ずや力を貸そう) と強く思った。

次回 第2章第6話 一万の願文 に続く


参考文献 小学館「曽我物語」新編日本古典文学全集53

この道を物言わぬ祐泰が運ばれて行ったのだろうか。  著者撮影


 


前にも添付しましたが、人名が分からなくなるとご指摘いただいたので
再度添付します。
おじいさんの名前が河津祐親
お父さんの名前が河津祐泰
お母さんの名前が万劫御前
敵討ちをしようとする兄の幼名が一万、後の十郎
    弟の幼名が箱王、後の五郎
仇の名前が工藤祐経
これだけ押さえて頂ければ大丈夫だと思います。
物語の重要人物以外にも
源頼朝をはじめ、北条時政、雅子、三浦義澄、岡崎義実など
鎌倉殿の13人で見た人物が関わっています。
和田義盛も母方の親族です。

他にもお気づきのことがあればコメントくださいませ。

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