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【意見④】夫婦別姓は妻を家族としない差別的な制度なのか?別姓時代の日本古来の婚姻と、現代の同姓婚を比較する

「韓国、中国は夫婦別姓だけれど、それは嫁を家族と認めていないから。これこそが女性差別。」

「夫婦別姓制度こそが、女性差別の制度。」

これもネット上でよく見かける選択的夫婦別姓反対派の意見の一つです。

ヘイトスピーチ的で、韓国、中国の方に対して、失礼な言葉なので、全面的にすぐさま否定したくなりますが、一旦、夫婦別姓は女性差別的かを考えていきたいと思います。

ここに、夫婦別姓から夫婦同姓に移行した今回の検証にぴったりな国があります。それは、日本です。日本は、女性差別的な制度から男女平等的な制度へと移行をしたのでしょうか?

江戸時代までは名字帯刀を武士の特権とした中、女性にまで名字があったかというのは怪しいそうですが、「物部 花子」というような名乗り方はしませんが、古来「物部の女(むすめ)」と言ったように、実家の姓に結びついたまま一生を送ったようです。

上野千鶴子先生の「近代家族の成立と終焉 新版」によると、当時の結婚は「実家の紐」つきであったということ。婚姻は言わば「死ぬまでの一時的なレンタル契約」であったとのことです。死後は返却され、実家の墓に入ります。

ここまででは、「家に迎え入れない」という反対派の主張は正しいように思えます。しかし、それが当時の女性にとって、「差別」を受け、「不幸」な境遇に陥ることを意味していたかは別の問題です。

実家は夫に妻を貸し出しているわけですから、もしいやなことがあれば妻は実家に逃げ帰りましたし、実家の父親は抗議を行いました。これはかなりの抑止力として働き、家庭内暴力は起こりにくかったようです。

明治民法により、家制度が成立しました。夫婦同姓は、女性が男性の「家に嫁ぐ」ことの象徴です。そして、夫婦の姓が統一されたことは、女性にとって逃げ道を断つこととなったと上野先生は述べます。

下が印象的な一節です。

嫁ぐ日の前夜に、娘は両親から、いったん嫁いだ以上どんなことがあっても戻ってくるなと因果を含められる。花嫁が帯に差す懐剣は、万が一戻るようなことがあったらそれで喉を突いて自害せよ、という意味だと言われている。

どんなに不遇であっても結婚した以上、嫁は婚家の一員として死ぬまで過ごすべし、という家族観が完成したのはここだと考えると、確かに反対派の言うとおり、同姓により妻は「新しい家の所属」となったと言えるようです。

しかし、私は別姓の方が実家の庇護の元、女性が伸び伸び暮らすことができたと言いたいわけではありません。(実家が毒親ということもあります)

実家の父に夫の暴力から守ってもらうにしろ、新しく「迎え入れられた」家で毒親から逃げた生活を送るにしろ、どちらの場合も女性は家とともに考えられており、そこでは個としての人格を認められていないのです。

過去の別姓にしろ、現在の同姓にしろ「家に迎え入れる」「迎え入れない」という議論をするとき、強い父権のもと女性を男性の所有物として扱って考えていないでしょうか?

そもそも論になりますが、「家制度」は1947年に廃止されており、現在「家族」というものに法的な定義はありません。その人がどこに所属するのかを同姓か別姓かで論じようとしたところで、そこには決して法的な根拠がないのです。そして、外野から決めつけを行うこと自体が差別です。

私の結論としては、女性がどこに所属するかは「別姓」「同姓」に関係なく、自分で決めるべきで、「別姓」「同姓」のどちらも差別ではないが、その人の意思と関係なく、外野がどこに所属するかを決めることが差別的である、ということになります。

自分の意思を曲げてまで、結婚・離婚などを身分の変更を外部から決定されたり、姓の変更を外部から決定されたりすることは、人権の侵害といえるのではないでしょうか。

当事者の気持ちを、これからも伝えていきたいと思います。

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