小説「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んで思うこと。

「82年生まれ、キム・ジヨン」。
映画は先に見ていたが、小説は初めて読む。
読みながら、自分が2000年から2016年まで、韓国の会社に勤めながら経験したこと、感じたことををいろいろ思い出した。
まさにキム・ジヨンの時期。
全員で20人、日本人のスタッフは5-6人で社長と取締役を含めあとは韓国人の会社だった。
まず思い出すのは韓国人の男性デザイナーのことである。
同じデザインチームのリーダーが日本人の女性となった。
そのことを彼は非常に嫌がっていた。他人にもわかるほど。
日本人が上司と言うより、女性の部下になることが我慢できなかったらしい。
その思いは当然上司である女性にも伝わる。
女性もやりにくい、とよくこぼしていた。
2005年ごろ、82年生まれのキムジヨンが社会に出始めた頃の話である。
 
また同じ時期、取引先の人と一緒に車に乗った時、女性のドライバーをみつけるといつも
「ウーマンドライボ(ドライバー)」
と馬鹿にするように笑っていた。
実際に見たわけではないが、タクシーではその日の最初に女性客を乗せないという話もきいた。
最初に女性を載せるのは縁起が悪い、ということらしい。
そしてタクシーについて言えば、外国人観光客でぼられるのは間違いなく女性のほうが多い。
 
やたらお姉さんがたくさんいる韓国人男性を数人知っている。
これは待望の男の子が生まれるまで子供を増やしたせい、と思われる。
だからお姉さんが5人や6人いる男性がいた。
兄弟で男子が優遇される。小説の中の話を思い出す。
病院では生まれてくる子供の性別告知は禁止されていたときく。
ただ実際はそれとなく看護師が伝えることがよくあったらしい。
 
社会的には女性が外でタバコを吸うの姿を見せるのをためらう雰囲気があった。
ファションビルの階段は女性スタッフが吸うタバコのニオイで充満していた。
会社でも日本人の女性スタッフは気にせずに吸っていたが、韓国人の女性スタッフが吸っているのを2016年まで見なかった。
 
社長は女性スタッフに男性スタッフの目の前で、彼にするには誰が良いか、しょっちゅう聞いていた。
これは男性スタッフである自分もいやだった。
 
ただ、韓国にいる間に変わったこともある。
会社の取締役は当初奥さんを外で働かせず、専業主婦が当然としていた。
ところがその後奥さんが公務員試験に受かり、働き出していた。
しれっと方針を変えている。
 
また当初、韓国の産休は3ヶ月だけだった。
あまりにも短い。
基本的に親が面倒をみることが前提のような休暇期間である。
だから会社に復帰しても実際の勤務が難しく、復帰してもすぐ辞める人もいた。
その後、1年間の育児休暇ができ、産休の3か月とあわせて出産時に1年3ヶ月休めるようになった。
3ヶ月が1年3ヶ月に。韓国らしい大変化である。
これは女性の大統領だったパク・クネの功績が大きいと思っている。
ただその制度で実際に戻ったのは私のまわりでは1人しかいなかった。
まだ体制として1年3ヶ月後に戻ってくるのに慣れていない気がする。

ここから先は

428字

¥ 250

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?