韓国の「笑い」

韓国の笑いは「乾いて」いる。
そのことを感じたのは、韓国で韓国映画の「ソンオ(にじます)」を見ていたときだった。最終盤のかなり深刻なシーン。そのシーンの最中、突然韓国人の観客から笑いが起きたのである。え、この雰囲気で笑う?あまりの違和感にうろたえた。まず、なにがおかしかったか、自分にはさっぱり分からない。それにどう考えても笑いを誘うような場面ではない。
ここから韓国の笑いについて自分の中で迷走が始まった。

もう1つ、気になった映画がある。韓国でみた日本映画「容疑者Xの献身」。こちらも最後の重要なシーン。日本で言えば「なく」おとしどころ。ここで韓国では笑いが起きたのである。日本とは逆に、感動のシーンが笑いのシーンになっている。こちらもあまりのことに驚いた。このシーンでの笑いはまったく理解できなかった。これは文化の違いなんだろうか。原因の1つに、堤真一の演技にもあったかもしれない。セリフの言い方が韓国ではコメディのように捉えられたのだろうか。ちなみに「容疑者Xの献身」は韓国でもリメイクされた。日本版で笑いが起きたシーンに、韓国版ではもちろん笑いはなかった。

2つの笑いのツボについて、自分なりに考えてみた。
1つ、考えられるのはある「状況」である。その人の意図に反した行動するしかない、そう話すしかない状況に追い込まれる。その状況が韓国人にはおかしく思えるのではないだろうか。

韓国のコメディ映画でも、同様の違和感があった。どんなコメディでも最後の前に必ずシリアスな場面が入る。自分がみたところ、どのコメディ映画でも同じだった。まるでコメディ映画の王道として決まっているようである。そんなシリアスな場面を見るたびに「ああまた来た来た!」と思ってしまう。韓国人は無意識にやっているのもしれない。

そして韓国の笑いは「乾いて」いる。前後の状況は関係がない。どんなシリアスな場面でも、おかしければ笑う。そして韓国人は映画を見ながら素直に反応する。笑うシーンはよく笑うし、怖がるシーンはとっても怖がる。逆に日本人の観客が反応しなさすぎる。だから韓国映画を日本で見て一人で笑う羽目になる。

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