脱ぐからには。(勉強しない子の話)
小学生の頃、単純に勉強をしたくなくてダラダラしている時に父親に勉強しろと強く言われて、わざと泣きわめいて自分の部屋に突入し、進研ゼミの本をわざとビリビリに破いたことがある(ベネッセさんごめんなさい)。
本当にキレたとか我を失ったとかいうわけではない。理性的に、演技としてわざとやったのだ。10歳の頃の頃だけれどはっきりと覚えている。
それを理由にして翌日は学校を意図的にサボった。母がお願いしたのか分からないが、担任の先生がわざわざお昼休みに自宅のそばまで来て僕を励ましてくれて、この件は学校は完全に無関係だったから、これはさすがに翌日からは普通に学校に行かなくてはと思った(先生ごめんなさい)。
ホームティーチャー式の英語教室にも通っていたけれど、ドリル的なプリントを無心でこなしているだけで、モチベーションは低かった。
中学時代に通った塾はサボりまくっていた。親には何も言われなかった。
高校時代は、定期テストの直前しか勉強はしなかった。その期間でさえ、最長でも1日3時間程度しかしていなかったと思う。授業中にマンガを読んでいた時期もある。部活を引退し、大学受験勉強のために時間がたくさんあった高3の夏休みも、なぜか3日間部屋にこもってジグソーパズルしかしなかったりとか、友達から借りたアコースティックギターで遊んでみたりとか、ひどかった。
勉強ができる人を羨む気持ちは常にあった。ただ勉強自体を楽しいとは思えなかったし、ちらっと問題集を自力でやってみたところで学力が上がるはずもないと思っていた。
ただ、大学には行きたかった。ほんのちらっとだけ埼玉にある大学キャンパスを友達と見に行った時のそのキラキラ具合を見て安っぽいミーハーな気持ちが沸いたのと、漠然と「大学を出なくても就ける仕事の職場環境はパワハラ地獄」というイメージがあり、そこからは逃げたかった。親戚やご近所さんの目、「2人の妹の兄」というプライドみたいなものもあった。
そして逆に言えば、僕はとにかくずっと、勉強自体が好きではなかったのである。
そんなどうしようもない自分の過去をこうして書いているのは、今身近に、勉強をすっかりしなくなってしまったという中学生がいるからであり、自分の息子たちが同様の状態になる可能性は十分にあるからである。
中学生が「勉強をしたくない」と言う場合、そこには勉強以外の原因もかなり色々あるんだろうということは、大人なら誰でも想像するところだ。
その部分まで踏まえて、そういう中学生が目の前にいた時に、何をするのがいいのかなと、ここ数日ぼんやりと考えている。
そして一番は「自分に憧れさせる」ことであり、それができないなら「本人が憧れそうな人と会わせる」ことじゃないかと思っている。
既に憧れの存在がいるのなら、たとえ芸能人だとしても、なんとかしてその人と1往復の文字コミュニケーションを実現させられれば、それだけでも相当な後押しにはなるはずだ。
間違っても「勉強すべき理由」なんて語り出したらダメだと思う。そんなテーマならいくらでも話せる。けど、全部スルーされるはずだ。親を悲しませるなよ、とかもダメだと思う。
あくまで主体性を引き出さなくては意味がない。
そんな感じで何かしらの具体的なアクションを近々取りたい。
彼がそういう状態であることを、僕は知らない、ということにしておかなくてはならない縛りがある。とはいえ、「高校どうするの?」は聞いていい間柄だ。
「勉強やる気にならなくて」「高校行きたくなくて」「まーそれなりにやってるよ」くらいの返事ならでも、なんとか話をこっちの準備している方向に持っていくことはできる。そのくらいの返事が来ることを期待したいと思う。
大学の塾講師時代、定時制の男の子を昼間に塾で担当していたことがある。そのお母さんとも時々面談をしていて、伺った一番の悩みが「朝起きれない」だった。それで僕が考えたのが、朝ドラにハメること。
ということでそのドラマの魅力をあれこれ伝えてみたら、まんまとハマってくれて、いつもより30分から1時間程度、早く起きるようになったのだ。お母さんも喜んでくれたし、本人もそのことを喜んでいた。
そういう、生活の質のほんのちょっとした変化と向上こそが、直接的な勉強論をぶつよりも、人を勉強に向かわせるものだと思う。
久しぶりに、一肌脱ぎたい。
脱ぐからには、上手に脱げますように。
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