だだ

母ちゃん(妻)、仙豆(長男)、オズ(次男)。ボクはだだ。

だだ

母ちゃん(妻)、仙豆(長男)、オズ(次男)。ボクはだだ。

最近の記事

仙豆オズ一家写真集2023年12月~5月

お待たせしました。noteではお久しぶりです。この半年の写真をどーんとまいりたいと思います。勝手ながら9枚目からは有料ということでお願いします(有料枠には36枚を載せました)。 1枚目(上)は次男オズ(本名は別です)。ばあば(ダダの母親)と共に冬の逆光の日差しに立つ長靴姿。後ろをお洒落自転車が通ってくれて今だっ!と撮りました。 この写真、奥に立っているのは僕の妹。横浜から福井に嫁いでいった、いつも笑顔の妹。毎年福井から顔を出しに戻ってきてくれます。

¥300
    • 仙豆オズ一家写真集2023年5月~11月

      noteでは大変お久しぶりです。ダダです。目の前の息子たちの可愛さに目を奪われたまま、気づいたら年末目前。やばい。ということ(どういうこと)で、この半年で撮りためた写真を一挙放出。全部でたっぷり60枚以上(景色のみの写真も含みます)。写真の腕が上がっているといいのですが。 1枚目(ページトップ)は、つい先日訪れた、横浜の「こどもの国」。どでかい牛さんがたくさんいました。 6枚目以降は、大変お手数ですが、有料枠とさせてください(一部、instagramやtwitterで公開

      ¥500
      • 5月の仙豆オズファミリーフォト

        前回記事に続いて、今回も有料フォトアルバムの体をとらさせてもらえればと思います。画像は20枚。このゴールデンウィークで遊びに行った稲村ケ崎と横浜の写真が中心です。個人的なお気に入りは、山下公園の氷川丸を背景に撮った仙豆のキッズモデル風の一枚と、先日コメダ珈琲でカカ(妻)が撮った仙豆のアップ。目力と表情、特に右眉の上がり方がイケメン風で。 5月4日以降の一週間は、オズが突発性発疹にかかりまして写真を控えていました。自然体を撮りたいけれど、本調子ではない様子は撮りたくない。家族

        ¥300
        • 有料フォトギャラリーに挑戦

          いつも私たち家族を温かく見守ってくださいまして、本当にありがとうございます。仙豆も大きくなってきまして、instagramの運用等々、どうしていこうかな、どうするべきかな、それについて考えるべきではあるよな、という程度のことはチラチラと考えるようになっています。 頭の中で考えるだけではたいして考えも進みやしないというのはこの世の法則みたいなものですので、具体的に一歩踏み出る模索をしてみようと思い、試しにこのnoteの有料機能を活用し、サイズが大きく、家族の顔が大きく映る写真

          ¥300

          世界の変化と教育について少し

          コロナによって「リモート授業」が一般化した。そして多くの人が「多くの授業はわざわざ学校まで移動する時間を取ってまで対面授業にこだわる必要はない」と気づいた。海外の大学の講義、各種専門家の発信もオンラインで受け取ることができるようになっている。 日本では、学問ではなく就職を目的に大学進学をする人の方が多い。小中学校の不登校児童数は約25万人で過去最高。1クラスに1名は不登校児童がいる状態。通信高校を選ぶ子供の数も同程度。学校はと言えば、その労働環境がブラックであることが知れ渡

          世界の変化と教育について少し

          桜の蕾の頃に

          voicyでは何度か話しているけれど、僕は俳句が好き。「余韻」「余白」というものを最大限に楽しむことができる芸術だから。そして桜も同じ芸術性を共有していると思う。満開の時よりも、以下の写真のような、まだ大半が蕾の頃の桜を好きなのは、その「余白」が最大化されるからだろう。 ここからは、2022年。次男は妻のお腹の中。 余白しかないような桜は、だからこそ、多くを訴えてくる。

          桜の蕾の頃に

          ちゃんとふざけられるスキル

          2月、東京湾アクアラインの海ほたるにドライブに行った。面舵いっぱーい!と、母ちゃんも仙豆も、人目があってもばっちりこんな風に楽しいポーズを取ってくれる。 まだ生後七か月の次男オズですら、既にカメラサービスを認識している疑惑。 僕自身はどういう状況でもまずこんなポーズを取ることはできないタイプで、友人の結婚式でプロカメラマンさんに「固いです」と言われ、10年以上経つのにそれがずっと忘れられないでいる。 ちゃんとふざけられるスキルって大切だと思うし、自然に反射的にそれができ

          ちゃんとふざけられるスキル

          成長の仕方が全然違う兄弟

          こちら、生後6か月の次男オズのショット。撮った後で、「あれ、なんか似たような長男の写真もあったような」と思い当たり、データを探して発見したのが次のこちら、生後6か月当時の長男仙豆(3年前の春)。 …エモいのはさておいて、この写真を探し回っている時に、例えば下のような、生後半年の長男の写真を見て、「あれ、次男はこんな風な写真がないな…なんでや…?」となった。 あとこういうの↓とかも、おや?案件(テレビに「外出自粛」ってある…そういう時代だった…)。 そして衝撃だったのはこ

          成長の仕方が全然違う兄弟

          英語の基本数式

          日本を代表する英語系Youtubeチャンネルといえば「Kevin's English Room」。そのInstagramアカウントの、2023年1月23日投稿の動画テーマが、「日本語は助詞を言わない」だった。 具体的には「スーパーへ行く」「スーパーに行く」の、「へ」と「に」の問題が日本語にはあるけれど、実際には「スーパー行くね」のように、日本語は助詞を省略する方がむしろ普通だ、という話。 僕が人に英文法を教える時、ほぼ必ず紹介する観点なのでつい興奮し、コメントを書いてしま

          英語の基本数式

          母ちゃんを両親に紹介した日の写真

          先日のVoicyで話題にした、自治体?に選んでもらってその建物に掲示された写真が見つかったので、この記事のトップ画像にさせてもらった。横浜の鶴見川で撮ったんだそう。 こういう感じで、至って普通な場所が、ちょっとだけ特別に感じられる瞬間を、そうだと分かるように切り取る。写真も絵も俳句もこういうブログも、面接試験や婚活で短時間で喋るときも、結婚式で少し長めに話をする時とかも、それが大事なポイントなわけだけど、 母ちゃんはそれができる人。 こういう写真をとって地元の地味なコン

          母ちゃんを両親に紹介した日の写真

          左手はそえるだけ。

          僕は家族を持つことをあきらめていた人間だった。「持たないことを選択している」と人には言いながら、内心は「あきらめている」状態だった。大袈裟に言えば、人生は半ば終了状態だった。 僕自身のひん曲がった性格と共に、「子供がほしい」と口にしづらい環境が家庭と社会にあったのも、その理由の1つだったかなと思う。それはほとんど恐怖感に近かった。折に触れて「ほしいもの」「したいこと」を素直に人に言えていれば、子供を諦める方向には行かなかったかもしれない。 僕が恐怖していたのは、説明を全て

          左手はそえるだけ。

          脱ぐからには。(勉強しない子の話)

          小学生の頃、単純に勉強をしたくなくてダラダラしている時に父親に勉強しろと強く言われて、わざと泣きわめいて自分の部屋に突入し、進研ゼミの本をわざとビリビリに破いたことがある(ベネッセさんごめんなさい)。 本当にキレたとか我を失ったとかいうわけではない。理性的に、演技としてわざとやったのだ。10歳の頃の頃だけれどはっきりと覚えている。 それを理由にして翌日は学校を意図的にサボった。母がお願いしたのか分からないが、担任の先生がわざわざお昼休みに自宅のそばまで来て僕を励ましてくれ

          脱ぐからには。(勉強しない子の話)

          いろいろ溜まっているのかもだから。

          母ちゃんは子供想いだ。そして謙虚だ。 自分の言動が無用なストレスを息子たちに与えていやしないかと、いつも自分自身を疑ってかかっているところがある。「今日、叱るのではなく、怒ってしまって」というような感じで、毎晩のように僕にも助言を求めてくる。 次男が産まれてもうすぐ半年。それまで3人家族でやってきた、まだたった3才の長男にとっては、ホワイト企業が急にブラック企業になったくらいのストレスになっている可能性もあるのではないか。 簡単にいえばそんな感じで長男のメンタルを気にか

          いろいろ溜まっているのかもだから。

          人生に鼻を添えて

          僕は鼻が悪い。だから鼻が詰まりやすい。呼吸が浅いから睡眠も浅い。目やにも出やすいし、風邪もひきやすい。子供を作ることを若い頃にずっと躊躇していた理由の1つは、僕のそういう体の弱さだ。 「耳鼻科」というくらいで、耳にも影響があると思われ、子供の頃は車酔いが激しく、遠足のバスではいつも前の方が指定席だったほどに三半規管も弱い。今も、車の中で文字を読むとあっという間に車酔いをする。母ちゃんはいくら読んでも一切車酔いしない。助手席で読み放題だ。贅沢なものだ。 そんな鼻のせいで、気

          人生に鼻を添えて

          僕を記憶に刷り込む作戦

          「〇歳までしか一緒に過ごしていないので、父or母の記憶は何もない」 こういうの、よく見聞きする。そのたび、マジかよおおおでもそうだよなあああ、ってなる。よく見聞きするあまり、たぶん一日に一回はこの言葉が思い浮かび、ひとりで勝手に激しく悲しみ、目の前が真っ暗になる感覚さえある。 「〇歳まで」。これ、数字はバラバラなんだけれど、一番大きいところだと「10歳」だったかな。 仙豆は3歳1か月。これだけ濃厚な3年と1か月を一緒に過ごしていても、外出時は抱っこ抱っこ攻撃を甘んじて受

          僕を記憶に刷り込む作戦

          3歳君と3か月君

          仙豆は3歳になった。 オズは3か月になった。 仙豆は事前に練習でもしていたかのようにお兄ちゃんをやっている。 オズは二人目の子だと知っているかのように親の限界を試してくる。 最近仙豆は、日本語力を急速に伸ばしている。 最近オズは、なにかしらの言語を発している。 兄弟姉妹を比較してはいけないという。 無理だ。 無理だし、比較させてもらい、それぞれの特徴をそれによってより正確に測る方がむしろ、本人たちに適切な教育や環境を与えることができるように思う。 ↑こちら生後3か月

          3歳君と3か月君