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就活の際に「私に価値はない」という不安の海で溺れた、話

おはようございます。せんとです。

先日、下の相談を後輩からいただいたことから、自分について振り返ったので、それを今回はまとめてみました。(記事の長さ:7〜8分程度)

「就職 ...どうしようか、迷っています」

そうか、もう2月か。春休みに入る頃から就職活動が始まるんだよね、と思い出しました。

この時期になると、大学3年生や大学院1年生から「就職先を悩んでいる」「就職したいのかわからない」もしくは「自分はナニモノ何だろうか?」など、多岐にわたるいわゆる「就職相談」をいただきます。ですが、

「就職」の相談というが、僕には「人生模索」の相談に思える

と感じています。というのも「就職(どこで/どう働くのか)」と「人生(どう生きたいのか)」とは、別物ではなく、密接に隣り合う事柄です。

就職は大きな人生の一部です。つまり、どう生きていくのか、ということを一時的に考え、決めるタイミングでもあります。何が正解かは千差万別です。今日は私の就職(人生模索)活動についてまとめてみたいと思います。

正直、恥ずかしいのですが、優しい心でご笑覧いただけると幸いです。

私は私のことを一番客観視できていない

大学時代、怠けていたわけではなく、そこそこの成績を修めることに加え、野球部での活動や、東北での復興支援HLABや海外での就業/留学経験など、色々活動してきたつもりの自分ではありました。ですので、就職活動を開始する前後は、

「まぁ、だいたいどこでも受かるだろう(ドヤ)」

という「過信」がありました。

ですが、ある日、大学の先輩との交流会というイベントがありました。同じテーブルになった社会人5年目ぐらいのN先輩にお酒の勢いで

「僕、就活は、余裕だと思うんですよねー♩♩」

(明確な記憶はないがそんな様な内容で、だいぶ、調子乗っている感じ)
と言ったところ、

は? オメェ、大したことしていないし、どこにでもいるよ

と一蹴されてしまいました。言われた瞬間は「いやいや!それは僕のことわかってなくて… 」と即時応酬したのですが、その後も飲み会の終わりまで「いや、君、全然ダメじゃん」と詰められ続けたわけです。

(今考えれば、あれはマウント?だったのか...?という疑問もありますが、当時の僕は、それには気がつきませんでした。笑)

特に志望理由書が通らなかったわけではなく、面接で落ちたわけでもなかったのです。が、先輩の「お前、全然ダメだよ」という評価によって、伸びに伸びきっていた鼻をへし折られました

「俺、就活やばいかも?」と同時に「あ、あいつ(セント)、就活ダメだったんだ」と友人や家族に思われるかも、という怖さ、に襲われました。
(当時は、いや、少なからず今も、そういう不安はあります)

何がいけないのかを考えてみる午前2時の市ヶ谷外堀

飲み会が終わって歩いて帰ると、不思議と先輩に言われたことがフツフツと蘇ってきて、そのまま家の近くの空き地(市ヶ谷外堀)で少しふてくされながら「どうして自分は、大したことない野郎だ、と言われたのか?」について考えていました。お酒の席なので、流してもいいと思うのですが、人からの評価やフィードバックに関しては、考えずにはいられない性分です。

俺みたいな人はどこにでもいる、という自己認識の芽生え

お酒が抜けたら、すぐに気がつきました。体育会出身の学生も、東北でボランティアした学生も、ビジネスや留学経験がある学生も、星の数います

今まで頼りにしてきた「自分が頑張ったもの」が、全て意味をなくし、自分はどうしていいのか、「就活(自分)迷子になった瞬間」だった気がします。ここからは、打ち寄せる「不安の波」に飲み込まれていきます。

「それっぽい、凄そうな言葉」を使い高下駄を履かせていた、かっこ悪い私

しばらくの、放心時間を経て、どれだけ自分のことが見えていなかったのかを把握します。そもそも自分は、大したやつでもない。田舎の旅館に生まれた、どこにでもいる野球小僧。留学やボランティア、ちょっとしたインターンシップをしたぐらいで、自分が劇的に変わるわけではない。

環境は私を変えてはくれず、変えるのはいつも私自身という事実

履歴書を見直すと「体育会野球部」「アメリカ留学」「NPOでの事業経験」「ボランティア活動」という様な「大きくて強そうな言葉」が並んでいました。ただ、それは「それっぽい、凄そうな言葉」を借りて、自分に高下駄を履かせていたんだと思います。

言い換えれば、凄そうな環境にいたことを言い訳に、私の経歴に背伸びをさせて、「お前って大したことないやん」と言われることを恐れて言葉の鎧を着ていたのだと思います。詰まる所、自信がなかったからです。

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「私はナニモノではなく、何の価値もないのかもしれない」
という冷たい不安という海の中、に引き揉まれない様にしていた

当たり前ですが「大手A企業でインターンシップ」や「有名Bユニバーシティに留学」という経歴は、履歴書を些か彩る分にはいいかもしれませんが、それはただのカタカナです。笑

自身の行動から何を、学び、失い、失敗し、後悔したか。そういう生っぽいリアルない経験だけが自分に残っていくと思います。名前じゃないです。笑

弱者の生存戦略に切り替えて戦い始める

その後は、自分の生存戦略を考えるようになりました。自分の本当の強みや得意は何なのか、それが活きるフィールドや仕事はどこなのか?と、メモ帳が真っ黒になるまで、何回も考えました。謙虚さを持ち、自分の周りの友人に自分はどんな人間だと思うかを、頭を下げて聞いて回りました。

そして人から見て、自分が比較的に優れていることを整理し、それを活かすことができる企業/業界を絞っていく。そうすると自然と自分が生き残れるであろう特定の分野や企業が見えてきました。

カタカナの肩書きでは自分の強みは活きないと気がつく

周囲には、コンサルタントとか、リサーチャーとか、クリエイターのような横文字のカッコいい職種/職業についていく友人も少なからずいたために、それらに目を奪われることもありました。しかし、どう考えても僕の人生経験から導き出される適性は「営業(日本語)」でした。

「営業」という職業が昨今は敬遠されている、という話を聞きますが、営業は本当に素敵で創造的な仕事だと個人的に思います。商品やサービスを使う人が、どう感動して、どんな価値を感じ、心が動くのかを伝え、それを通じて相手の生業をお手伝いする。とても粋な仕事だなと思います。

ただ、「営業」という職種は、特に日系の企業では自分の様な体育会気質の人間が沢山いる分野でもありました。事実、日系企業の営業職に内定をもらっている同期の体育会の学生が沢山いました。

自分よりも体力も根性も頭も良い様な、ゴリゴリの体育会系営業職と渡り合えるわけもない、と考えた自分は自然と、日系とは真反対の「外資系企業」を攻めていくことが自分の生きる道だと考えるようになりました。

(当時は、日系ー外資という二項対立で会社を見ていたので、これも浅はかだよね、という気がしますが…)。

「野球選手とか珍しいね!」という新しいリアクション

外資系企業に切り替えてからは、リクルーターや人事のリアクションが大きく異なることに気がつきました。それまでは「あぁ、スポーツ系の学生さんね、野球?ああ、自己アピールはチームワーク?」という感じでそこまで大きな話題になりませんでした。

しかし外資系のある会社では、

え、ガチの体育会の学生なの?
アメリカでソフトボール!?
体格いいね!アメフトじゃなくて?(笑
珍しいね、君!

そんな風に、自分に興味を持ってもらえる様に変わっていくことを感じていました。

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いや、アメフトじゃないですよ、
あ、柔道でもないですよ、
や、野球ですよ!
え、顔がでかく、丸い?
いや、顔がでかい訳でなく、グローブが小さいからそう見えるだけです!

という、お決まりのくだりは、このころから面接の際の鉄板のアイスブレイクトークになっていきました。

差別化するということは、強みと、戦う場所を選ぶこと

周りと自分を差別化するというアドバイスを就活では耳にします。それは、自分の強みや得意なことを把握すると、同義に使われることがあります。

しかしながら、ただ、自分と同じ様な属性の人が、どういうフィールドに戦っているのかを考えるというのも、とても大事なのではないのかと思います。その上で、競争が少なく(周りが選ばない)、自分の強みを活かせるフィールドで戦う、という戦略を取ることが、とても効率的だなと思います。ビジネスでもブルーオーシャン戦略と呼ばれますよね。「戦略」の漢字が表すように、如何に「戦」いを省「略」できるのかだと思います。

能力 = 「特性」 × 「環境」

幸運にも僕はExpediaという外資系旅行会社に「営業」として採用されましたが、同期は自分以外が全員、帰国子女で社内言語も英語という、ゴリゴリのアメリカ系企業(2015年当時)でした。

海外のサービスを日本にローカライズしていく過程で「国内の旅館/ホテル向け営業」というポジションで、自分にとてもフィットする仕事に就くことができました。入社後に聞いた話では、体育会という珍しさや、日本旅館で育った経験が、他のアプリカントとの差別化になり、入社に至ったという話でした。

これが、日系企業であれば、ひょっとしたら「自分の強み」が活かせなかったかもしれません。振り返ってこそ言えることですが、良い選択ができたのではないのかなと思います。

マイメンター(任命済)のアゴスの横山さんから以前いただいた言葉に、

能力 = 「特性」 × 「環境」
(能力とは、特性と環境の掛け合わせだよ)

というものがあります。ウサインボルトは、足が速いという特性が「100mトラック」の上で発揮できるから、世界一速く走るという能力があると見なされるのであって、もしもそれが「100mのプール」だったら、それは能力とは見なされない、という分かりやすい話です。環境を選ぶことは、能力を磨くことと同等かそれ以上に大事だということです。

「私はナニモノではなく、何の価値もないのかもしれない」、そんな不安の海に飛び込んでみる

ナニモノでもないという、冷たくて真っ暗な不安の海の中に潜り、一度溺れてみるからこそ、私自身に履かせている余分な高下駄や鎧を脱ぐことができる。この経験のおかげで、僕は人生迷子の時の私から少し前に進めた気がします。

僕自身、当初の履歴書に書いていた「凄そうな言葉の鎧たち」ではなく、生まれた環境や、野球小僧で毎日ボールを追いかけていた自分が、最終的には就職活動では自分の身を助けてくれたような気がしています。

海の中で溺れながら足掻くからこそ、高下駄も鎧も脱ぎ捨てられる。だから全てを手放してもまだ手元に残っている、私を助けてくれている本質的な何か(強み)に気がつくことができるのではないのかな、と思います。

終わりに

色々、書きましたが、やりたいことや将来の夢が決まっていて、もうそこしかない、という人はその道を行けばいいのさ!でいいと思うのです。が、22,23歳の段階でそこまで腹くくって絞れている人はなかなか多くないのじゃないのかなと思います。

N先輩に厳しく言ってもらえたからこそ、自分の未熟さに気がつき、改めて謙虚に自分の能力や相手企業について冷静に分析することができたのかもしれないと思います。

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以上、僕の人生迷子の話と、不安の海に潜るのは勇気がいるけれど、自分の本質を知ることができるいい機会になるかもよ、という話でした。

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