「師」と仰ぐ人
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健康には気をつけようと思っていたのですが、知らないうちにストレスと疲労がたまっていたのか、体調を崩してしまいました。二日くらいの休息を経て、なんとか体調は持ち直したものの、本業の方での依頼をひとつ断らざるをえず、自己嫌悪のようなものに襲われてしまいました。
よりいっそう、体調管理に気をつけなければならないと、強く実感しました。
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文芸サークルに所属していた大学1年生の時に、同学年の部員に「近代文学なんておもしろくない」と目の前で言われたことがありました。
彼は、思っていることを遠慮なくズバズバと言う人でした。しかし、人の悪口だけは言ったことがなかったと記憶しています。そうしたところが、彼と距離を置かなかった理由なのだと思います。
ここで彼が言う近代文学とは、日本の近代文学を意味しています。そして、辛辣なセリフの後に、彼はもう一言付け加えたのです。「夏目漱石だけは別だ」――と。
いま思うと、なんでその訳を尋ねなかったのか、不思議でならないのですが、もしかしたら、まだ仲が深まっているとは言い切れない頃だったので、わたしが遠慮してしまったのかもしれません。
大学院生になり、学部生の(主に勉学の)相談に乗るアルバイトを始めたのですが、その仕事の責任者の方が、学生のときに夏目漱石を愛読していたということを、飲み会のときに話してくれました。
このときも、飲み会に滅多に参加したことがないぶん萎縮してしまって、もっと色々なことを聴いてみたいと思いながらも、口を開けないまま、別の話題に移っていくのを見守るしかありませんでした。
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ところで、夏目漱石(1867~1916年)の門下のひとりに、芥川龍之介(1892~1927年)がいます。芥川は『鼻』という短篇小説を漱石に激賞されたことで、作家としての知名度が上がり文壇に踊り出ることになります *1。
しかしふたりの交流は、長くは続きませんでした。芥川が文壇に深々と腰を据える前に、漱石が亡くなってしまったのです。
芥川は「師」の没後、漱石の葬儀の日のことを書いた『葬儀記』であったり、長らく墓参りを忘れていたがゆえに、漱石の墓の場所がなかなか見つからず、案内人を買って出たことに負い目を感じてしまったことを描いた『年末の一日』などの小説を発表しています *2。
また、『枯野抄』という小説では、芭蕉の死を看取る弟子たちの気持ちに仮託して、自分(たち)が漱石の死に対して抱いた感情を吐露しています *3。
さらに、晩年の名作『歯車』『或阿呆の一生』や、作家としての再起を誓った(しかしながら遺稿になってしまった)『闇中問答』という会話劇にも、夏目漱石のことが言及されています *5。
芥川龍之介にとって、師・夏目漱石が特別な存在であったということは、彼の作品を読んでいると、ひしひしと伝わってきます。
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師を想う弟子の姿――というと、師に対して激しい崇敬の念を抱き、師のために人生を尽くした西村賢太(1967~2022年)のことが頭に浮かびます。作中にたびたび、彼が「師」と仰ぐ藤澤清造(1889~1932年)が言及されていることは、よく知られていることかと思います。
藤澤清造の全集を作るために、多額のお金を工面することに奔走し、知り合いや同棲していた女性の父親から数多くの借金をし、思う通りに借銭ができないと、暴力をふるい暴言を吐き散らかす主人公(≒西村賢太)の姿からは、醜悪さを感じる一方で、彼の激烈な師への想いを見て取ることもできます。
わたしが初めて読んだ彼の小説は『形影相弔』です。藤澤清造の全集を作るためには、これからも私小説を書き続けなければならない、という気概を奮い立たせる主人公を描いた「決意の一篇」です。
「彼」とは主人公・北町貫多(≒西村賢太)のことで、「件の原稿」とは入手していないどころか存在も知らなかった、藤澤清造の肉筆原稿のことです。
この熱い決意の表明を描いた小説に震えた後、同文庫(『形影相弔・歪んだ忌日』)に収録されている『青痣』を読んだときには、面を喰らいました。この短篇小説を通読してはじめて、西村賢太の作風を掴んだような気がしました *7。
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芥川龍之介にとって夏目漱石は(おそらく)両想いの師弟関係であり、西村賢太にとって藤澤清造は、遠い時を隔てた、一種片想いのような、それでも激烈な師弟関係なのだと思います。
6
ところで、わたしにも、勝手に「師匠」として尊敬している方がいます。
博士前期課程に在籍していたころ、将来の見通しが立たないなかで苦しんでいたわたしに、創作活動という道標を与えてくださった方です。
といって、直接助言をいただいたわけではないのですが、その方がTwitterに投稿されているイラストを見て、自分の進むべき道はなにかということを了解したのです。そして、その「生き様=活動」に魅了されていきました。
しかし、友人たちには、あまり理解してもらえないのです。一枚のイラストに刺激されて、物書きとしての活動を再開し、研究と創作を両方続けていくという道を選んだというのは、たしかに、突拍子もないことのように見えるかもしれません。
いつか、直接お礼をさせていただける「場所」に到達したい。そんな想いが、わたしの「創作活動」のモチベーションのひとつになっています。
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目標を持って、常に前へ前へと進んでいかなければならない。
しかし、そうした気持ちを抱いているだけでは仕方がありません。ちゃんとした結果を残さないと、物書きとしての活動を再開したことが、泡沫に帰してしまうような気がしています。
先々週は、「たゆまぬ努力は夢を叶える」ということを教えてくれた友人のことを書き、今回は、自分が「勝手に」師匠として尊敬している絵師様のことを、少しだけ書かせていただきました。
こうして文章にして自分の気持ちを整理したことで、新刊の制作に対する熱意がさらに強くなりました。
5月に東京で開催される文学フリマは、例年以上に大規模なイベントになるみたいなので、大勢の方に自分の作品に触れていただける大チャンスです。
引き続き健康に気を遣いながら、心身ともに良好な状態で、うららかな春を迎えたいところです。
皆様も、どうぞお体に気をつけてお過ごしくださいませ!
[注]
*1 芥川龍之介「鼻」『羅生門・鼻・芋粥』角川文庫、2007年 改版、47-57頁。
*2 芥川龍之介「葬儀記」『羅生門・鼻・芋粥』角川文庫、2007年 改版、192-199頁。芥川竜之介「年末の一日」『年末の一日・浅草公園 他十七篇』岩波文庫、2017年、140-146頁。
*3 芥川龍之介「枯野抄」『蜘蛛の糸・地獄変』角川文庫、1989年、80-91頁。
*4 芥川龍之介「一つの作が出来上るまで――『枯野抄』―『奉教人の死』」『芥川龍之介全集 第六巻』岩波書店、1996年、50-51頁。以下の解説も参照。三好行雄「作品解説」202-203頁(収録: 芥川龍之介『蜘蛛の糸・地獄変』角川文庫、1989年、199-205頁)。
*5 例えば、以下のように言及されている。
*6 西村賢太「形影相弔」『形影相弔・歪んだ忌日』新潮文庫、2016年、26頁。ルビ削除、原文尊重。
*7 西村賢太「青痣」『形影相弔・歪んだ忌日』新潮文庫、2016年、27-64頁。
【参考文献】
・芥川竜之介『歯車 他二篇』岩波文庫、1979年 改版。
・芥川龍之介『芥川龍之介全集6』ちくま文庫、1987年。
・芥川龍之介『蜘蛛の糸・地獄変』角川文庫、1989年。
・芥川龍之介『芥川龍之介全集 第六巻』岩波書店、1996年。
・芥川龍之介『羅生門・鼻・芋粥』角川文庫、2007年 改版。
・芥川竜之介『年末の一日・浅草公園 他十七篇』岩波文庫、2017年。
・西村賢太『形影相弔・歪んだ忌日』新潮文庫、2016年。
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