【短篇小説】 生命線
夜八時。T先生――最近、SNSを通して知ったイラストレーター「様」――が、あるショッピングモールで開催されるイベントで、ブースを構えてグッズを販売することを知った。三日間のうち一日だけ(それも二時間くらい)、ご本人様がお見えになるとの情報も掴んだ。
急いで便箋を取り出し、熱い想いを認めていこうとしたのだが、ここでようやく、葉田洋は、思案をはじめた。
交通費とグッズの購入代を計算すると、少なくとも一万円を越しそうである。手持ちのお金は心もとない。大学院に所属している「研究生」という身分――を了えてから、二年は経つ。が、その費用を捻出するのには、一苦労しなければならぬ。洋はとある事情から、職を辞す予定なのだから。
当時、無差別に申し込んでいた、大学内で募集をかけていたアルバイトで得た稼ぎが、貯金として積み立ててあるにはあるのだが、今度、ある同人誌即売会にサークル参加する予定がある以上は、それを崩すわけにはいかない。
ということで、T先生にお手紙をお渡しすることは諦めなければならなかった。
新刊のページ数を減らせば、その分、お金が浮くのであるが、推敲の末に削るところはもうないと判断していたため、これ以上、文章を削減することはできない。なんとか早割で入稿することができそうだが、それにしたって、T先生の下へ馳せ参じるための費用が、どうにかなるわけではない。
I県までの新幹線代、ホテルの宿泊費用、飲食費……そして、ブースの設営に必要なものを揃え、郵送するための金銭――とにかく、出費が甚だしい。しかし、こうしてイベントに参加し、小説を作る腕を磨くことなしに、夢を叶えることなどできない。
夢――それは、大学院進学を機に擱いた筆を、もう一度握ることを決意させて下さった、N先生とお仕事を共にしたいというものだ。いまの洋が抱いている、唯一の夢でもある。
あれは、大学院に入学して三年目のこと。一年の休学を経て、ようやく修士論文を書き上げたころのことだ。洋は博士課程へ進むべきかどうかで、迷っていた。のみならず、あらゆることに絶望していた。
当時の社会情勢と心身の不調は、洋を家に閉じ込めてしまうには充分で、鬱屈とした心情に苛まれていた。自分の研究は、なにかの役に立つものなのか――社会にとって、そして大切な誰かにとって――という自問自答に苦しんでいた。というよりも、なんの役にも立たないだろうと勘づいていた。
そんな閉塞感に押し潰されそうになっていた折、SNSを漫然と見ていると、一枚のイラストが目に飛びこんできた。目に?――いや、全身に爽やかな風を受けたかのように感じたのだ。
洋はこう思った。自分も、誰かのためになるなにかを作りたい。当時の自分の研究への不信と合わさって、創作に対する憧憬のようなものが生まれたのだった。それからというもの、そのイラストの作者――N先生を尊崇するようになった。そして、一緒にお仕事をしたいという夢を抱くようにもなったのである。
T先生とN先生……お二方とも、洋の人生に大きな影響を与えてくれた、敬愛するイラストレーター様(洋は「イラストレーター」のあとに「様」を付けるくらいに、この職業に従事する方々をリスペクトしている)であるのだが、上記の理由から、N先生に関しては、ことさら特別な思い入れを持っている。
しかし最近になってからというもの、将来、T先生とも一緒にお仕事をしたいという気持ちが、俄に芽生えてきた。というと、なんだか横着なようにも聞こえてしまうが、いまの自分を形作り生き甲斐を与えて下さった方々と、将来的にお仕事を共にしたいという想いは、洋が小説の腕を研鑽する動機として一番の位置を占めていた。
と、そういうわけだから、遠征を諦める決断をしてからは、その夢を抱き込んで、夜が更けるまで、とあるコンテストに応募する小説を作っていった。そして、中途まで書き上げたデータをバックアップしたところで、眠った。
それでも、目覚ましをかけることは忘れていない。深夜三時に鳴ったアラームで、勢いよく起きあがると、つけっぱなしのパソコンと対峙し、小説の執筆を再開した。
およそ二時間のみの睡眠は、間もなく三十歳となる洋には、身体的に堪えるものではあったが、精神的にはそうではなかった。
それくらい、T先生、N先生と――そして後に言及するが、C先生と――お仕事を一緒にしたいという気持ちは、灼熱の鍍金をかけた鋼のように強いのである。
が、肝心の腕前といえば、一向に上達しない。投稿サイトが主催するコンテストには、軒並み惨敗しているし、書籍化が確約されている文学賞でも、良い成績をふるったことなど、一度もない。
(創作を再開して、四年近く経つというのに)
洋は、自らの執筆歴に比して結果が伴わないことに、焦りのようなものを感じていた。いま取り組んでいる、コンテストへの応募作も、きっと、なんら結果を残すこともないだろう。そんな諦念さえ、かすかに抱いてしまっている。
だが、夢があるかぎりは、書き続けるしかない。洋は、その夢のためだけに、奮い立っていた。
八月。洋は絶望の中に日々を送っていた。のみならず、何度死のうと思ったか分からなかった。体力も気力も、家族の介護のために奪われつつあった。睡眠もろくに取ることができず、終日、家のために働いていた。
それでも洋は書いていた。それに、いままで以上に、小説と向き合うようになっていた。日に一、二時間の限られた時を大事に使っているうちに、そうならざるを得なくなったと言っていい。能動的な帰結というより、受動的な結果ではあるのだが、そのおかげもあり、小説投稿サイトに掲載した小説の数は、格段と増えていった。
創作をしているときだけは、晴れやかな気持ちでいることができた。洋はこの限られた時間のために、日々を生きているに等しかった。家中を支配する死の気配から、一時的に逃れることができた。このときだけは――食後の抗うつ剤の影響があるとはいえ――生きることに悦びを感じていたのだった。
介護に専念するために、ついに仕事を辞めて、実家へ帰ることにした。
長年暮らしたY市から実家へ引っ越す準備をしなければならず、一時的に下宿先へと戻った。洋はこの段になって、人生に一区切りがついたと実感するようになった。十月の十二日になれば、もう三十歳である。人生史的な意味でも、一段落すると言っていい。
一方で、相変わらず、コンテストも文学賞も惨敗続きで、尊敬する先生方と一緒にお仕事をするという夢には、ほど遠いところにいた。あまりにも不甲斐ない――と、洋は思っていたし、焦燥もますます募っていた。
そして、ここにきて、深刻な問題に直面してしまった。
身体が言うことをきかなくなってしまったのだ。具体的な病名があるわけではない。しかし、精神的なものからくるものだとは診断されている。頭痛、胃痛、嘔吐感、眩暈……が、代わる代わる洋を襲いはじめたのである。
このとき、洋は物書きとしての自分の現在地を測るためにも、ある文学賞へ応募する――それは九月の中旬が締切りだった――ことを決めていた。
その文学賞というのは、地元の新聞社が主催するもので、受賞作には、大賞、準大賞、佳作、奨励賞という順序が付けられており、いずれかを受賞すれば、紙面に受賞作が掲載される。洋も過去に、佳作と準大賞を取ったことがあった。
もっというならば、佳作から準大賞へと順位を上げていたのだ。とすれば、大賞を取ることができれば、自分の小説の腕は進歩していると見てよさそうである。よって、大賞受賞を目指して作品づくりをはじめたのであるが、どうもしっくりくるネタが浮かんでこない。
受験における過去問を使った対策というわけではないが、いままで受賞した小説の傾向をおさらいし、また、自分の過去の応募作を想起していく。要求されているのは、純文学で間違いない。洋が受賞した小説というのも、どちらも純文学小説である。
そして重要なのは、奇をてらわない、ひねくれたところのない純文学小説であるということだ。洋はむかし、前衛的な小説を送りつけて失敗したという過去がある。しかしオーソドックスのなかに、オリジナリティを紛れこませなければ、平凡な小説として閑却されるに違いない。
その塩梅が難しい――のだが、ここは素直に書いてよさそうである。素直にというのは、前衛的な手法を用いることなく、設定を奇抜にするのでもなく、ありのままに書いていくということだ。言い換えるなら、小説らしい小説を作ればいいのだ。
それに、難しいことを考えなくてもいい。認識論的に主客が一致するかどうか(フィクションを純粋に作ることができるのか)であったり、自然主義文学やプロレタリア文芸とはいかなるものか(文学とはなんであるのか、どうあるべきか)であったり、そういう問いを立てる必要もなかろう。
というより、そうした問いに答えようとする小説を書こうとすれば、洋ぐらいの腕前では、駄文極まりない批評文になるに決まっている。だから素直に書くべきなのだ。なおかつ、自分にしか書けないものを書くことができればいい。ようは、個人的な体験をフィクションへと昇華させるということだ。だとしたら、私小説しかない。
最近は、私小説とノンフィクション・エッセイとの境界が、認識的にも実際的にも曖昧になりつつあるように思えるが(私小説を募集しているコンテストで、ジャンルを「エッセイ」に設定するよう言われることがある)、小説という以上はフィクションなのだ。
というわけで、自分の一生における、ある限定した時期のことを潤色した一作を書く、ということに決めたのだが――寒い……あまりにも寒い。
今年の九月は、まだまだ暑い。毎日のように、定義上の夏日を積極的に記録している。それなのに寒い。言い換えるなら、孤独だ。死へ向かいつつある家族をのぞいて、自分を認知してくれるひとを持っていない。
親友たちからは見放されてしまったらしい。なにを連絡しても返信がない。その理由について、なにも思い当たる節がないのであるが、きっと、洋より大事にするべき関係を、それぞれの置かれた環境に持っているのだろう。むかしは――およそ七、八年前までは――お互いの家を往復したり飲み会を開いたりしていたのだが。
一方、洋はそうした関係性を結ぶことのできる存在を、誰一人持っていない。あまりにも「家」にこもりすぎている。家族との紐帯を大事にしすぎている。いや、大事にするべきなのだ。だがしかし、家族の外側に、太い繋がりを持った誰かを措定しなければ、凍えるほど寂しくなるというのは自然なことだ。
創作活動を再開してからというもの、また、同人誌即売会に参加するようになってからというもの、何人もの物書きと知り合いになったが、いまでは全く交流が断たれてしまった。というより、交流を絶えず結んでいなければ、路傍の石に降格させられる界隈なのだ。
どうやら、物書き界隈というのは、お互いの小説を読み合ったり、繁く会話をしたりしないと、相手の存在の値打ちみたいなものを発見できない人の多い場所らしい。そういうのは、洋みたいなひとり黙々と小説を書いている身からすれば、痛切に実感することだ。
というわけで、洋が孤独になってしまったのは、それらの人たちとの関係性の維持を怠ったからに過ぎないので、いわば自業自得であるのだが、いまさらながら、家族の外に話し相手がいない現状を、心寂しく思うのは仕方がないことであろう。
それに加えて、心身の不調は甚だしい。しかし、頭痛、胃痛、嘔吐感、眩暈……のために、どれくらい苦しい思いをしようと、家のために献身的な貢献をしなければならない。病苦に喘ぐ家族を支えなければならない。こういう境遇は、洋をして、こんな考えに至らしめる。
地獄はどれくらい、天国に見えることであろう――と。
しかしそこへ、希望の光が差し込んだのは言うまでもない。C先生の存在が、このような状態の洋に、勇気を与えてくれたのである。
痛む身体をこらえて、母が仕事へと出かけているあいだ、洋は実家へ戻ることになった(ここらへんの事情を詳しく書くことができれば――わたしに勇気があれば、もう少し楽になるのかもしれない。いまは、吸うだけの呼吸である。吐きたい……)。
引っ越しの準備はまだ中途だった。そして、病院で紹介状をもらうためにも、一週間後にはYへ帰らざるを得なかった。が、電車を乗り継いで実家と下宿先を往復することに、心身はもう堪えかねていた。
C先生のことを――そのイラストを――知ったのは、またしても偶然だった。
SNSの良さというのは、知らなかった感動を、知ることができることだろう(そして、悪さというのはその反対の体験であり、しかも、質も量も「クオリティ」が高い)。
イラスト系のハッシュタグをクリックして、たくさんの素敵なイラストを拝見していたのだが、――それは夜であった。そして夜というのは、洋にとって、寂しさというものを、物質的にも感じさせる時間だった――ある一枚のイラストが、矢のような鋭さで目に飛び込んできた。
それは、金髪の女の子のイラストだった。セリフやシチュエーションから、大学生だと分かる。かわいいと感じた。惚れ惚れした。これからも、この方のイラストを拝見したい、活動を追っていきたい、そう思いたくなるほどのイラストだった。暗い夜のなかに、一筋の光を見つけた気持ちだった。
そうだ。自分も、誰かにこうした前向きな感情を手渡す――救済の手を差し伸べる――ような小説を作りたいと思っていたのだ。そこが、出発点だった。それなのに、どんどん、自分の殻に閉じこもるようなものばかり書いてしまっていた。
(もう一度、初心に帰るべきだろう……)
洋は、夜の分の抗うつ剤を飲んでしまうと、ノートを開いて、いまの自分が置かれている状況を客観的に見ようとした。抱いている感情を、鋭く分析しようとした。ペンを走らせているのか、意志を持ってペンが動いているのかは分からなかった。副作用の眠気が訪れてからも、夢中になって書き続けた。
そのうちに、愛犬のカイが、ワンワンと鳴きはじめた。
毛布で手を守りながら抱き起こさなければならない。目も見えず耳も遠ければ、牙を剥いて自分を防衛しようとするのは自然だろう。のみならず、自分で立ち上がれない。吠え立てたら起こしてあげて、寝る位置を変えたり、トイレにまで運んだりしなければならぬ。そしてこれが、大体二時間ごとに続くのである。
しかしいまの洋には、ちょっとでも眠るなんていう気など、さらさらなかった。
明け方――洋は、ここ二年のうちに、ひとつの哲学を構築してきていたということに気が付いた。体系だってはいないが、意識的に、或いは無意識的に、ひとつのテーマに関して思索し続けていたらしい。そしてこの哲学をうまく小説へと昇華させることができれば、誰かのこころを揺すぶることができるのではないかと考えた。
暁光は、所々に継ぎ接ぎがなされている障子を青白くさせていた。名前は分からないが、陽の出を歓ぶような鳥の高い声が聞こえてきた。一睡もできない日は、何度となく経験しているが、これほどまでに清々しい朝を迎えたのは、久しぶりだった。
日中も思案は続いた。祖母(彼女は認知症になっていた)と愛犬の面倒を見ながら、隙を見ては小説のことを――応募作のことを――考えた。そして、「物語」の概略が出来上がった。
しかし、身体はもうボロボロになっていた。小説を完成させたいという気持ちだけで――ある種の闘争心だけで、生きているみたいなものだった。N先生、T先生、C先生がいてくれるからこそ、生きることができていた。この方々だけが、いまの洋の生命線だった。
洋は、自分のこころのなかに棲む弱い気持ちと、何度も対話をした。
――もう死にたいだろう?
――生きたいという気持ちが、死にたいという欲望より後景に退けば。或いは……
――或いは?
――死後、なにか救いがあるのなら。死ぬという瞬間だけは、苦痛から逃れられるかもしれない。しかし苦しみは、死後にも用意されているかもしれない。
――仏典の読み過ぎだ。歴史小説なんて書くから、地獄というものを信じきるようになったのだ。
――信じようが、信じまいが、必ずそこには「何か」がある。その「何か」が知れないうちは、博打などできない。それに……
――それに?
――もう少しは、生きてみたい。この小説の行方が決まるまでは。
洋はこういう対話をしてしまうとすぐに、頓服に手を出した。その薬の効果が続くかぎりは、強い気持ちを抱くことができた。そして、ぐんぐん小説は形になっていった。
――どうだ。死にたくなったか?
――いまは……いまは、死にたいという気持ちに飽いている。
――ひとは、一心に飽き続けることはできない。いずれまた、欲する気持ちは湧き起こるだろう。
――ともかく、飽いているときには、飽いているのだ。
洋の目には光が宿りつつあった。ぶるぶると震えてはいるものの、暗がりに負けないようにと閃いている。線香花火のように……。
洋の祖母は寝込んでしまった。季節外れの風邪をひいたのだ。
薬を飲んだのを見届けてから、廊下を静かに進み畳部屋へ抜けると、そこではカイが身体を伏せて目を瞑っていた。眠っているというより、なにかを待っているという感じがした。もう準備はできているのだと言わんばかりに、泰然としている。
春の滝のように止めどなく筆は進んでいった。綿雲を踏むように軽快に句読点を打っていった。風に揺られて葉が翻るように、書くべきことが見つかっていった。ラムネの瓶の裏側から冬の空を見ているような……そんな気持ちがしていた。
了を打った。身体からすべての力が抜けて、机にうつ伏せになった。机の面は寒かった。冷たいのではなく、寒かった。孤独……そう、自分は孤独なのだ。「仕事」を終えたあとの解放の歓びはなく、すべてのすべきことを失ったことへの絶望のようなものがあった。
「わん」
抱き起こしてほしい時にするのとは違う、どこか臆病な鳴き声が聞こえてきた。組んだ腕の上に置いた顔をカイの方へと向けると、奥が白くなった目が、洋をじっと見つめていた。
「大丈夫。死なへんから。ちょっと疲れただけや。カイも……しっかり生きいや。長生きせえや。お兄ちゃん、最後まで面倒みたるさかい。安心して生きい」
カイは身体を伏せたまま、黙って洋を見つめている。
「分かるかあ……ええこさんやからな、カイは。まだ書きたいものは、あるんやけどなあ。なんで、病気が見つかったんやろ」
「わん、わん」
「わんわんや。お兄ちゃんも、わんわんや……」
寒い――洋は短く呟いた。
〈了〉