懐かしい写真集。
今日は朝から色々と心が動いた日でした。
ホロスコープを見たら獅子座の月が私のネイタルICに重なっていました。
ここしばらく牡牛座天王星がICに90度をとっており「自分の根源的な繋がり」に対して「物質的豊かさから生じる満足感や喜び」の視点が厳しい精査をしてきていました。
今日はその揺らぎを、月で良くも悪くも受動的に体感した感じです。
そんな日だったので少しやさぐれていたのですが、知り合いのカメラマンの方が、以前話したことを覚えていてくれて写真集をくださいました。
ぐぐぐっと昔に引き戻されました。
「筑豊のこどもだち 土門拳」
中学校の図書室で三年間ずっと見続けていた写真集です。今思えば土門拳シリーズが沢山あった。でもその頃は仏像とか興味無かったからなあ、、、。
(なぜか安保や学生運動、ベトナムなど1960年代の熱に感化されていた中学生でした。)
あの頃と今では刺さるものも違うなあと思いました。ボタ山は墓標であり、置き忘れられていく生命の熱。生きたまま死んでいく虚しさの外殻だ。
13歳の私は、筑豊のこどもたちの中に安心を見つけたくていつも見ていたのかなと、今は思います。
ICに月が合。
確かに自分の古くからの繋がりを考える一日でした。
月は揺れて動いてナンボ。月を止めてしまったら自分の今を知ることから離れてしまうのかもしれない。そう思ってしまうのは私の月が火星と180度で活動宮だからでしょうか。
今日は「この鬱々した気持ちをどうすれば良いか」でタロットを引いたのですが、それがまた膝を打つようなカードで。でももう眠いのでそれは明日のネタにします。
言葉や文にしたい気持ちなら、毎日あふれるほどあるので毎日noteも続けられるかな。息抜きに一つ駄文ばかり。
つちのと。