働きながら学ぶ「青年訓練所」向け通販カタログの裏面はポスター 軍隊基礎訓練の場となった青年訓練所と青年学校
満州事変中の1932(昭和7)年6月ごろ発行された「軍需品製造 林商会」の通販カタログを入手しました。青年訓練用品、軍隊用品、軍装用被服定価表となっています。
内容は、各種の旗や、三八式歩兵銃を模した訓練用の銃、そのほかさまざまを扱っています。
広げるとポスター大となる、このカタログ、裏面はなんと、青年訓練所の宣伝ポスターとなっていました。
青年訓練所は、働くために尋常小学校高等科や中等学校に進学できなかった16歳以上の男子に、心身の訓練(修身や教練)を施す狙いで、1926(大正15)年から1935(昭和10)年まで設けられた学校で、4年間800時間の授業の半分を教練が占めた、軍隊教育の基礎をさせるのが基本の場でした。それは、軍装品店がお得意様とするところであり、また、義務ではなかったため青年訓練所も宣伝普及が必要とあって、このカタログとポスターの抱き合わせというアイデアが生まれたのでしょう。
余談ですが、青年訓練所や各学校での教練は、大正時代の軍縮で行くところの無くなった軍人の赴任場所ともなり、軍縮が逆に軍事教練を普及させる後押しとなっていました。
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青年訓練所は、職業訓練的な性格を持っていた実業補習学校と統合し、1935年に青年学校として発展解消します。青年学校は高等小学校に行けなかった子どものための2年の普通科、中等学校に行けなかった青年のための本科(男子5年、女子3年だが、1年短縮が可能)などからなっていました。
上の写真のように、青年訓練所から青年学校に変わっても、実態は軍隊の基礎教育が重点だったと分かります。日中戦争下の1939年には青年学校も義務化され、国内のすべての男子青年が教練を受けることとなり、軍隊での即戦力養成機関としての性格を一層強めます。こうなると、ポスターで宣伝する必要もなくなります。そしてこうした基礎があればこそ、後に乱発される赤紙で召集した新兵を、即席の訓練で前線へ送り出す事が可能だったのでしょう。