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日露戦争中の信濃毎日新聞、軍・政府の報道に対する姿勢に連日苦言を呈すー「国民を愚にする勿れ」と「秘密袋」

 1904(明治37)年7月6日付信濃毎日新聞は、日本周辺海域に出没を繰り返していたロシア軍のウラジオストック艦隊を追跡していた日本の「上村艦隊」の公報を掲載します。

1904年7月6日付信濃毎日新聞

 その翌日、7月7日付の信濃毎日新聞は、この上村艦隊の行動の発表方法を例にして、軍と政府の国民への情報伝達を徹底的に批判した社説「国民を愚にする勿(なか)れ」を掲載します。これは、その後の戦争や国際交渉でも、政府が一方的に情報を操作して国民ばかりか身内の軍まで騙してしまうようになり、都合の悪いことを潔く示すことが時代を経るにつれなくなっていったことを思うと、大変重要な警句でした。著作権切れを受けて写真で紹介し、解説を試みました。

 「戦争に便宜あるよう人気を引き立つる際のみ、戦争は(略)日本国民全体の戦争なり。さればこの戦争のためには(略)一生懸命骨折らざるべからずと重き義務を負わせ居りながら、何か少し都合の悪く、景気の思はしからぬ事にてもあれば、なるべくこれを押し隠さむとし(略)、国民の前に発表を躊躇するが如き事あらば、そは余りに水臭き処置」と、都合の良い時だけ国民に関心を持てとする政府の姿勢をまず批判します。

7月7日社説ー1

 「大勝利の公報の如きは、如才なく、迅速に発表するを常としつつあるにかかわらず、思わしからぬ報告に至りては兎角遠慮し、躊躇せんとする模様あるを見る」。こうした傾向は日常的にあることだし、戦争ともなればなおさらだろうと心情を推し量りながらも、戦争を「国民全体の仕事なりと信ずる以上は、吉凶共に、明白に、迅速に、これを国民の前に披露するもの、政府当然の責任にあらずや」とただします。

7月7日社説ー2

 そしてロシアのウラジオストック艦隊による金州丸撃沈や日本近海への出没は「人心動揺の恐れありなどと称して直ちに国民に知らするを欲せず。近くは(ウラジオストック艦隊を追う)上村艦隊の公報の如きも」、追跡を始めたのは1日からなのに「何ら責任ある消息に接さず」、5日になってようやく6日の紙面のような公報が出たのは手ぬるいと厳しい。しかも「上村艦隊よりは早く報国の達し居りしも」原因不明の点があるからと引き延ばしていながら、政府の御用新聞には公報の前に公報よりも詳しい内容を記述しているものがあったと指摘。これによって、政府が発表を引き延ばしたのは内容に問題があったわけではないことが明らかだと論じます。

7月7日社説ー3

 そして、例の小心が出たとかいちいち詮索しないが、「都合のよき時、便宜を計る時のみ国民国民とおだて上げながら」功名は知らせ、都合の悪いことはなるべく押し隠す、これは人心動揺の恐れがあるというが、それこそ「国民を愚にするに当たらずや」と強調。「いつまでも子供扱いは以ての外也。利害も吉凶も喜憂も一切国民と共にすべし。これ国民を重んずる所以、国民を重んずるはまた実に国民を強うする所以也」と、政府の国民を見る目、国民に対する考えを改めるよう迫っています。

7月7日社説ー4

 その後、報道機関の発達はあるものの、例えば関東大震災における朝鮮人や中国人虐殺の隠蔽、陸軍の謀略による張作霖爆殺事件の関与の隠蔽、満州事変の発端となった陸軍の謀略柳条湖事件など、いずれも真相が国民に知らされることはありませんでした。そして、太平洋戦争当時の「大本営発表」が、やがて国民にも信じられないことのたとえになるほどに事実を隠蔽していった先の敗戦を考えれば、日々の健全な情報提供の大切さがわかろうというものです。
           ◇
 一方で、報道機関はさまざまな法律で報道を縛られていました。現代でも選挙に関しては、当落に影響を与えないように規制され、何なら圧力もかかっていますが、まさにその時こそ、国民に正しい情報がしっかり伝えられなければならないのに、残念なことです。

 前日の発表方法への苦言に続き、そんな政府の縛りを取り上げた社説が「秘密袋」です。
 日露戦争開戦依頼、新聞が軍機軍略に関することとして告発されて処罰されるものが多々あるとし、「しかしながら軍機軍略というとは随分際どきカネ合いのものにして、これに触れおるや否やの鑑定、もと容易にあらず」と、その規制の口実の曖昧さを問題に上げます。

7月8日社説ー1

 しかも、政府からこれは良い、これはだめ、という指示が届くまでの煩雑さから「ハイハイと其の時だけ承知する位の実情なり」と内幕を披露。そして軍機軍略と言われれば従わざるを得ないが、「秘密どころか、一刻も早く世間に知らせたる方しかるべしと思わるるものさえ多きなり」とその内容根拠の不明さを暴露します。

7月8日社説ー2

 そして、その規制が政府発表の公報にもかかるというおかしなことも起きているとします。また、確実な情報を地元の留守部隊に聞いたとしても、これを出せば軍機軍略を漏らしたと告発されるとし、取材活動もままならない実情を浮かび上がらせます。

7月8日社説ー3
7月8日社説ー4

 そして、公報として出たものを警察が差し止めることは理解に苦しむとし、ならば「新聞をとがむるの前に陸海軍大臣を処罰せよ」と指摘しつつ、「今少し秘密の袋を小さくし、断じて許すべからざる小部分のものに対しては固く自ら其の紐を〆て誓って他に漏らさずとすることで警察の注意を要することも処罰者を出すこともないようにすることは常々の希望であるとし、当局はどう思うかと質します。

7月8日社説ー5

 こちらの社説の提起も、その後も法律が厳しくなり、秘密の範囲が広がるばかりで、新聞が戦争を論ずること、それは識者の意見を掲載したり、政府方針に疑問を呈したりといったこともできなくなります。例えば信濃毎日新聞の桐生悠々が、社説「関東防空演習を嗤う」によって不買圧力や松本歩兵第50連隊への記者立ち入り禁止を受け、信濃毎日新聞が屈せざるを得なかったように、軍の圧力は露骨になっていきます。報道機関にとって正しい情報を得る道から締め出されるのが一番厳しい。特に戦争となると、従軍記者を出すにしても軍と友好な関係を持たざるを得ないといったジレンマもあったでしょう。

 一方で、法律や取材対応ばかりではなく、戦争という神輿を担ぐ側に報道機関が回ったことも問題として指摘されます。国論の統一が必要という美名に、一方向を向くのは当然としますが、これではアクセルばかりになるのです。そのミスに軍や政府が気づいたのは、まさに敗戦が明らかであっても、戦争を止める世論も何もなくなっていて、自家撞着に陥ってからです。ブレーキを残さないでいけば、国家の暴走は当事者でも止められないほどになるのです。多大な犠牲を払った教訓、もはや過去のものとして、皆忘れてしまっていはせぬか。
 そしてネット全盛の時代。情報リテラシーというものの大切さ、ますます身に沁みます。国民も「賢」である必要が、とても大事になっているでしょう。日露戦争当時、反戦を訴えた新聞は売れなくなって廃刊となったように、皆が総立ちになることの危険性を、しっかり自覚したいものです。

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