これは何…「火王炭」。って、いったい何?
数ある収蔵品の中には、一見してもなんだかわからないものもけっこうあります。たとえばこちら。長さ5センチ、素焼きでけっこう固く、爪でたたくとかちかち音がします。穴は14個。半分ずつ作って組み合わせて中空にしてあります。
幸い、箱も一緒に入手しました。
どうやら「火王炭」という名称です。「実用新案願」「最新発明」の宣伝文句が並び、容共神田の成同社東亜商工が製造販売しています。定価は停止価格95銭。
もともとは9個入っていたようです。ひとつ焦げ目がありますね。でも、説明書きは何もありません。火王炭ということはわかりました。で、火王炭って、何?
いろいろ調べたところ、これは燃料節約のための道具ということです。豆炭や木炭と一緒に七輪などに入れ、燃やすと火王炭も熱せられます。炭が少なくても、これによって火力を保つことができるという理屈です。何度も使えるので、万年炭とも称されたとか。同様の商品は「助燃器ほのお炭」とか、いろんな名称でつくられていたようです。特許は独占できなかったのか、抜け穴があったのか。
さて、この「火王炭」がいつごろ作られたものかを探ります。箱には停止価格95銭とあり、これが時期を知る手がかりです。
日中戦争に伴う物不足に加え、第2次世界大戦の勃発で物不足がさらに進んでインフレになることを恐れた政府が1939(昭和14)年10月18日、国家総動員法に基づく価格等統制令を発動し、モノやサービス、賃金などの値段を同年9月18日の値段に固定します。この時に決められた価格が停止価格です。そして1940(昭和15)年7月18日、販売者に価格の表示が義務付けられます。
以上のことから、火王炭は停止価格となっているので日中戦争下の1939年9月には存在しており、この箱は1940年7月以降のものといえます。
太平洋戦争が始まるのは、1941年12月8日。でも、その前にこうしたアイデア商品があちこちに出てくるほど、社会に余裕が無くなってきていたのでした。
参考までに、価格統制令が発動された日、長野市内のそば店の値段入り看板は紙が貼られ、お店は軒並み休みになって、在庫確認や新たな値段付けに追われます。政府も、その日までの価格は把握していませんでしたから。いきなりの発表で特に商業界は大混乱に陥ったのでした。
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