「非常時一億万の国民に贈る友邦ドイツの力作」の長野県小諸での上映会は、さて、何年にあったのかを検討すると
入場料が大人50銭とある映画上映会のチラシがあります。長野県小諸町(現・小諸市)の小諸名画観賞会が4月9日の昼夜に小諸劇場で行った映画「スパイ戦線を衝く!」と「南方飛行」の上映案内です。広告料を集めて作ったのでしょうか、けっこう立派なものです。
「前線の兵士は銃を執り 銃後の我等は頭脳を以てスパイと戦へ」とあったりしますと、単純に防諜と言われるより身が入るというもの。おそらく戦時下の上映会ですが、何年のものかは記載がありませんので不明です。
では「頭脳を使って」ーまずは、映画の封切時期を見ます。「スパイ戦線を衝く!」は調べたところ1936(昭和11)年の製作であることが分かりました。しかし、完成してすぐのフィルムが田舎の自主上映会には回ってこないでしょう。よく見ると「友邦ドイツの力作」とあります。
日本とドイツの間に何等かのつながりがあった時期とみると、1936年11月25日の日独防共協定締結から後、とみるのが妥当でしょう。とすると、4月の上映会ですから、1937(昭和12)年以後であるとみられます。また、戦時下とありますので、これが日中戦争を指すとみると、1937年4月ははずれて、1938年以降となります。ほかに手掛かりはと見ていて、主催団体の中にある「防護団」に着目しました。
防護団は、陸軍が後押しをして民間防空活動のための組織にと構成された団体です。早いところでは1932(昭和7)年から結成していて、長野県内でも1937年ごろにはだいたい組織されていました。しかし、もともとある消防組とのすみわけの問題があり、1939(昭和14)年4月1日をもって、防護団と消防組を統合した警防団が防空組織の連合体として発足します。
チラシ配布の時期は不明ですし、印刷時にはまだ防護団だったと考えることはできます。ですからぎりぎり、1939(昭和14)年は入るかもしれませんが、それより後は考えにくいので、この4月9日は1938年か1939年にまで絞り込めました。
ここまで来たところで、昼夜上映とある点に着目しました。せっかくの上映会、多くの人に見てもらうには週末を選ぶことでしょうから、当時の4月9日の曜日を確認してみました。1938年は土曜日、1939年は日曜日でした。土曜日なら夜更かししても大丈夫とみれば、1938年が一番妥当でしょう。
また、広告にはパチンコ、純毛豊富、肉の御用なら…など、物資の統制がまだ厳しくなっていない時期の雰囲気が明らかです。
日中戦争下ではあっても、まだ1年にもならない1938(昭和13)年4月であれば矛盾がありません。パチンコがはやるのも1938年あたりまでで1939年には抑圧されていたこと、1938年4月1日に国家総動員法が公布されて以降は物資統制が一層厳しくなっていったことを考えると、1939年4月の上映会で、上のような広告を出せる状況ではなかったでしょう。
以上、チラシの情報から1938年4月9日の上映会と推定しましたが、より精密を期すなら、開店したばかりの店がありますので、現地で確認することもできるでしょう。こうした地道な作業で資料の精度を高め、わかりやすく後世に伝えたいと思っています。