1943年の新聞連載「日本人の体格美」を読む(中)ー「団子鼻の優秀さ」?
「日本人は偉い」という話は、太平洋戦争になるまえからも出ていましたが、有名なのが1933(昭和8)年10月発行の雑誌「日の出」の付録「世界に輝く日本の偉さはここだ」(表題写真)です。この年の3月、日本は満州事変を機に、融和的なリットン報告書も蹴って国際連盟の脱退を正式通告していました。また、三原山での投身自殺が1月から5月までに約50人に達し、2月には小林多喜二が特高警察に虐殺されています。満州事変はやっと5月に終わったものの、そんな重苦しくなりつつある世相を背景に、やはり戦時下のように孤立したころの景気づけにと出されたようです。
それを裏付けるのが、文部大臣鳩山一郎の序文です。
「最も誇るべきは、わが民族性の健全なる一事であると思う」とし、現在は非常時と騒がれているが、過去の困難を無事乗り切ってきたのは「国体の尊厳と全民族の健全性を見失うことがなかったからである」として、文部大臣らしく教育勅語を持ち上げています。そして「すべての道は日本に通ず」と大きく出て鼓舞します。世の中が不安定さを見せる時に、どうやら礼賛が出てくるようです。目次からも、ネタは似通ってくるのが感じられます。
さて、1943(昭和18)年8月に信濃毎日新聞が連載した「日本人の体格美」は、(上)「短い足は強い」に続いて(中)「団子鼻の優秀さ」です。掲載の都合からか、書き出し部分は(上)の短い足の強さの話が続いており、そして手先の器用さや肌の色の素晴らしさ、さらに鼻の素晴らしさをたたえているのですが…。ぜひ、(上)から続けてお読みください。
(著作権切れで転載します。漢字やかなは適宜現代の用語に直し、句読点を補足しています)
日本人の体格美(中)「団子鼻の優秀さ」=(佐々喜重)
また、座る習慣は飛行機、戦車、潜水艦のごとき近代兵器の勤務に大きな影響をする。長期間にわたる狭い座席についての勤務は、日本人の驚嘆すべき忍耐力や精神力と共に我が国の日常生活が知らず知らずの間にこのような苦しい勤務に耐える体格を作ったのである。
さらに我々が日常下駄、草履を愛用することも靴はき人種より足指の感覚の発達に役立つ。また日本人は手先が器用だと言われているが、「それは我々が食事にはしを使用し、女性は針仕事を、子供時代には折り紙、あやとりのごとき手先の訓練をしてきたがためであろう。とにかくスプーンやフォークを使用する欧米人から見れば、我々がはしで食事をとり、小豆までもつまむことができるということは驚くべき技術なのである。彼らが小豆をつまもうとするときはピンセットを持ち出すに相違あるまい。
これら手足先の感覚は、まあ、砲術、自動車、戦車、あるいは飛行機等の操縦に非常に役立っている。一時機械が高度に発達すると人間の手足は不用になって退化するであろう、と言われたこともあったが、機会が精密になればなるほど感覚が大切になってきている。特に指先の感覚が絶対に必要になってきているのだ。
我々は黄色人種と呼ばれてきた。黄色人種結構である。我々の黄色は天地の黄色、緑色、土色等を基として赤色、白色等々多数の色素を合わせた色彩であって、包容力のある平和な色彩と言えるのである。特に彼等の毛深いザラザラした皮膚組織は脂肪が適当量平均にゆきわたり、なめらかで、よく手入れされた女性のそれらは、まず世界無類と言っても過言ではあるまい。
我々の鼻は一般に団子鼻が多いようだ。美しいとされているギリシャ鼻の所有者は少ないが、比較的に丸顔の多い日本人が鼻だけギリシャ鼻であったらオカシナものであろう。
日本には古来オカメというのが日本女性の一つの理想の形態であった。しもぶくれにふっくらとした柔らかい目の表情、まゆはずっと上方にあって明るく、つまみのような鼻と小さな口唇、一見して優しい豊かな顔が理想であった。オカメの鼻は低いのではなく、両ほほが膨らんでいるので低く見えるのであるが、あの丸い鼻の代わりにギリシャ鼻をつけたらどうだろう。かえってオカシナ顔になってしまう。
ギリシャ鼻は非常に冷たい感じがするが、丸顔の中にちょっとつまんでみたいようなかわいらしい鼻の所有者は、年をとっても若々しいものである。ギリシャ鼻の賛美者である欧米人ですら、シャーリーテンプルのあどけなさにあこがれを持つのである。鼻の生理機能から言っても、ギリシャ型である必要は少しもない。せいぜい、メガネをかけるのに都合がいいくらいであろう。
日本人の体格美(下)に続きます。
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もう、何をかいわんや。ようするに、おかめ顔の団子鼻はかわいいと…