<戦時下の一品> 第二国民兵の遺書
大日本帝国憲法では、兵役の義務が臣民に定められていて、男子は17歳になると自動的に第二国民兵となり、徴兵検査で体格などが適格ではないとされて「丙種」となると、第二国民兵に所属することになりました。
では、第二国民兵とは。松本連隊区司令部が徴兵検査にあたって対象者に渡した説明文が分かりやすいので、そちらをごらんいただきます。
甲種、乙種だと現役兵やその補充兵になりますが、丙種はいずれにも服することができないとしつつ「丙種合格者は第二国民兵役に服するので平時には軍務に服する事はないが国家の大事件で彼の欧州戦争(第一次世界大戦)の様なとくには召集され軍務に服するのである」と説明。太平洋戦争中、臨時召集令状(赤紙)が軍務の経験のない体格も劣る丙種合格者にも「第二国民兵」として軍務に服するよう、次々届きました。
とすると、ある人は出征もありうると準備をしたでしょう。そんな方が残されたのが、この密封された封筒なのです。
また、この封筒は「遺言書」「写真」「遺髪(爪)」と上部に印刷しただけでなく、
「第二国民兵」と合わせて印刷し、本人に自覚を促しているようです。
この封筒を誰が作ったかは分かりませんが、印刷されていることからそれなりの数を用意して、ある地域の丙種合格者らに配られたものと思われます。可能性としては、連隊区司令部、警察、役場、在郷軍人会などが考えられますが、決定できる手がかりはありませんでした。
そしてこの封筒を受け取った方は、封筒の少しの隙間から見える範囲と手触りで、きちんと写真を入れ、遺言書を書き、遺髪を入れて密封し、いざという時に備えたのだろうと思います。
密封のまま、ここにあることは、この方が無事、あの戦争を生き抜かれたことを示しています。その意味を大切にし、開封することはいたしません。ここまで覚悟を与えさせる、戦争という圧力。よほどのことがないと召集されない人達にもこれを用意させる周囲からの圧力。このような緊張感を、二度と味わわせることのないように、伝え続けていきます。過去を伝えること、そして感じた思いで世界に目を向けること、そのうえで何ができるか考えること。そんなことを大事にし続けることこそ、戦争を回避していく力になると信じています。
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