見出し画像

赤紙一枚で、というけれどー臨時召集令状の実際の姿と使われ方

 赤紙1枚で兵隊に、とはよく言われる言葉ですが、赤紙は正式名称を「臨時召集令状」と呼び、通常の定期的な入営とは違って、戦時下などで随意に兵隊をそろえるために使う、呼び出し書類のことです。しかし、実物の赤紙を見る機会はまずないので、当時の「赤紙」の本当の形や使い方が分からない人が多いと思います。そこで、2023年8月の展示会で使った複製品を利用して当時の事務手続き、そしてこれを受け取る時の雰囲気をイメージしていただければと思います。

 その前に、近年、赤紙は入営して2年間の兵役を終えた人に「だけ」来るものだという嘘や、「拒否できた」という嘘など、知識不足もはなはだしい言説が時折流れてきます。これらは「完全な嘘」であるという基本認識を持っていただくため、大日本帝国憲法の写しをご覧ください。
 第二章「臣民権利義務」の第二十条で「日本臣民ハ…兵役ノ義務ヲ有ス」と明快に記されています。具体的な方法は法律に従いますが、その上位の憲法で「義務」と明記されていることから、誰でも兵隊に成りえたと理解できます。実際、1945(昭和20)年には義勇兵役法が公布され、女性も含め、動けるものは皆、戦闘員として前線に出る準備を整えたのです。

 では、臨時召集令状、通称「赤紙」の説明ですが、赤紙と呼ばれるのは赤い紙に印刷していたからです。中の人が太平洋戦争中に赤紙召集された方に聞いたところ「鮮やかな赤」だったと話しておられました。淡い赤という説もありますが明確ではありません。こちらで使う説明用の赤紙は淡い色ですが、それが正しいというわけではないことを、まずお断りしておきます。

こちらが赤紙の完全な形。白い台紙は展示用に使ったもの。

 連隊区から召集人員と日時の連絡を受けた担当地区の警察署が、市町村役場の兵事係に召集者を連絡します。兵事係では、あらかじめ依頼してある配達担当者を呼び出して待機し、警察署から令状が届くと、この状態のものを配達担当者に渡します。配達担当は対象者か代理の人に会い、右端の「受領証」に記名押印を受けて切り取って役場に持ち帰り、役場では兵事係が当人の経歴や軍歴を記した書類に添付し保存します。

記入を終えた受領証は、役場で保管されます。

 召集者本人には、残りの部分が手元に残ります。そして召集を受けた人が左端の部分を記入して切り取り、駅に持っていくと切符を入手できました。そして召集日、部隊に出頭したところで残った部分を提出し、令状は本人の手を離れます。

 以上が赤紙の使われ方でした。受領証は本人の書類とともに役場に残されていましたが、太平洋戦争の敗戦時、焼却命令を受けたため、ほとんどのものが焼かれてしまいました。しかし、これがなければ出征した人の軍歴などを証明する役場の書類が消えることになるため、いつか役立つだろうと、兵事係がこっそり持ち出して保存したものもあり、近年、いくつか発見されています。長野県でも、大町市などで見つかり、当時の歴史の証人となっています。

 最後に、当方が所蔵している長野県北佐久郡中津村(現・佐久市)の1937(昭和12)年の「兵事日誌」より、日中戦争に伴う召集の緊張感を示す同年8月14日の部分を下に写真で掲載しますので、ご参考に願います。このころは、夜中でも未明でも関係なく召集を伝えていたもようです。

岩村田警察署より連絡を受けて体制を整え、村長の訓示もありました。
臨時召集令状の伝達に出発したのが午前2時36分。

 なお、徴兵制などについて興味がわきましたら、以下のような良書をお読みになることをお勧めします。

ここまで記事を読んでいただき、感謝します。責任を持って、正しい情報の提供を続けていきます。あなた様からサポートをしていただけますと、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できます。よろしくお願いいたします。