明治時代のおもちゃ屋さんのにぎわいー日清戦争受けて兵隊さん関連人気
庶民の風俗は、日常にまぎれて記録に残らないことが大部分です。しかし、資料の中には思わぬ街角の表情が残っていることがあります。1895(明治28)年3月25日発行「風俗画報」第88号には、日清戦争下ににぎわいを見せるおもちゃ屋さんの絵「現今各商店の図其五 手遊屋」がありました。
店内にはサーベル、鉄砲、ラッパなどの軍事関連品に加え、中国人のお面もそろえています。
そして親の説得に成功し、サーベルに鉄砲、簱も手に入れて喜色満面の男の子です。
清兵の髪をつかんで、今にもサーベルを振り下ろそうとしているかのような兵隊の絵を描いた襦袢を着た男性は、花見がえりの様子です。背負われた赤ちゃんもしっかりとラッパをにぎっています。
この店の雰囲気を伝える解説文を、著作権切れであり、転載します。句読点を補い、漢字や仮名遣いを適宜平易に直しました。
<現今の各商店その5 おもちゃ屋> むつきの中なる嬰児は「坊やは良い児」と歌える謡にて睡るが多ければ、「小笛風車」のほか、おもちゃはあまりいらざるも、4―5歳の児童にして、父に従い母に伴われ、あるいは兄に抱かれ姉に負われて過ぐる者の、早くも目をつけて、急にその歩みを停め、袖にすがり、または手を曳き肩を打ち、指し示してまず立ち寄らしむるは、ここおもちゃ屋なりけり。
男児なれば、あのサーベルがよい、この鉄砲がほしい、太鼓も買いたい、お面もいるよと遠慮なくいえば、店の者はすかさず種々取り出し「坊ちゃん、お面ですか。これは加藤清正、これは金太郎、これはヒョトコ馬鹿。どうぞ、上等の方を願います。サーベルはこれが切れます。支那人の首級もあります」と段々すすめ掛かれば、童児はついにお神輿を据え、是非に是非にと、軍人が出陣を願うがごとく迫り、とうとう皆買うことになれば、童児は北京でも陥れたるような喜をなして帰るぞ愛らし。
女児なれば、あねさま、香箱より、御膳かまどの類を望むべし。これも会計にお構えなければ、その要求は1品にとどまらず、ただひたすら「買うてちょうだいな」と迫り「またにおしよ」と言えば、たちまち雨がふりて破鐘(われがね)が鳴れば、余儀なく財布をはたくに至るぞ是非なけれ。
おもちゃ屋とは、おもてあそびもの屋の略称なり。すなわち童児の玩弄具をひさぐ所を言う。看板には御手あそび品々など書してあり、そも玩弄具は、もと遊戯に供するに過ぎずといえども、つらつら考うれば、その武器に擬せしものは体操発育の地をなし、その家内包厨の具に当たるものは婦人の職務を涵養するの緒となる。すなわちおもちゃ屋は、家庭教育の一端にして間接の利益甚だ多しとす。余は童児のためにおもちゃ屋を賛成する者なり。
本図店前花見戻り客の下着は、征清戦争の模様、地は赤にて俳優の似顔等あり。また美人の上衣は竹に雀の模様にて、共に大丸屋に就き、方今の流行品を写したるものなれば、粋人はよろしく注目せらるべし。
以上、明治28(1895)年3月25日発行「風俗画報」第88号より転載。山本松谷・画。鶯陵迂人・文。
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戦争玩具が軍国主義を育てるーとお感じになる方もおられるでしょう。しかし当時の雰囲気を見ていただければ、世間が注目し話題にしていればこそ、玩具も売れるということがご理解いただけるかと思います。
おもちゃが悪いのではなく、世間の雰囲気や大人の行動の投影なのです。ならば、大人が正しい選択をして行動していけば、戦争玩具で遊んでいても、決して悪い方向に進むことはないと思うのですがいかがでしょうか。
ちなみに中の人も、プラモデルの戦車や兵士、軍艦のほか、銀玉鉄砲などでも遊んだ経験があります。そんな中で、戦争の歴史に興味を持って今に至るということを見ていただければ、ご理解いただけるかと。最近も昔の戦争玩具を集めているのは、言うまでもありません。