国難打開!と言いつつ、実態は6泊7日の観光旅行ー主語がでかいのには裏がある
1935(昭和10)年3月5日、明治神宮を参拝してから東京を出発し、6泊7日の日程で伊勢神宮、橿原神宮、京都御所、熱田神宮などをめぐる「国難打開祈願 第27回奉仕会神宮参拝団」の「参宮の栞」です。
まあ、さんざん、「35、36年の危機」と政府もマスコミもあおっていましたからね。1935年の国際連盟からの正式脱退と1936年の海軍軍縮条約の期限が来るのでアブナイアブナイっていってきたのです。
さんざん日本に気を使ってくれた国際連盟にヤダヤダっていって、その駄々っ子ぶりに世界中のお友達が相手にしてくれない現実を「42体1」という総会の数字で示されたんだから自分でまいた種だし、軍縮は各国が建艦競争すると財政が持たないからって取り決めていたので、少々譲っても何とかする気があれば問題でも何でもないけど、譲歩はしないってこれも日本の都合。いわば一人相撲で危機だ、危機だ、国難だって叫んでいたのですな。
でも、そういう理性的な判断はおいといて、ここで神国日本が頼るはやはり「神」だろう、という経過でこの旅行が企画された模様です。
旅の栞の表紙には「国難打開祈願」の文字が躍っています。参拝団の目的として「国民一致団結の至誠と神明の加護とにより、満州事変以来国際連盟脱退に至る42対1の非常時日本の国難を打開し、我建国以来の宏謨を恢弘し、もって聖恩に酬へ奉らんとするにあり」とあります。
ところどころ、漢字が読めませんが、まあ雰囲気はわかるでしょう。出てますね、42対1。さて、経路表が載っていますのでみてみましょう。表題写真と下写真がそれです。
総勢522人、ほとんど男。食堂車付きの貸切列車の優雅な旅です。京都では2泊し、1日は自由行動日としています。琵琶湖めぐりや名古屋城見学も可能で、伊勢の宿泊は夫婦岩で知られる二見の旅館となっています。
きちんと医師や看護士も同行してくれて、心配いらず。とてもいい旅です。しおりには、各地の観光名所や土産品も細かく書いてあります。まあ、「国難」も富裕層が臣民に気兼ねなく堂々と旅する口実になっていたのですね。結果は敗戦ですから、やはりこんな浮ついた連中の参拝では神通力を引き出せなかったのかも。まあ、神という虚構にすがって、最後まで現実から目をそらして逃げていたのですから無理もないでしょう。