たかだか100年前の関東大震災で起きた大事件を今更歪曲してどうするよー100年前の提言が絶対必要だったと分かった
近年、関東大震災時に行われた日本人による朝鮮人や中国人、社会主義者、無政府主義者、部落民、市井の日本人に至るまで行われた虐殺事件を矮小化するか、仕方なかったことと歪曲する言説が出てきた。それもこれも、今回も当選した東京都知事がK氏のトンデモ本そのままの質問を自民党都議から受けたことをいいことに、朝鮮人虐殺被害者の慰霊の式に弔辞を出さず、ヘイトスピーチ認定された団体に朝鮮人慰霊追悼の式と同じ時間の公園使用を認めたあたりから、自称愛国者ら「日本は悪くないもん!」と主張しなければすまない人たちに力を与えてしまったのが発端と思う。
当時の山本権兵衛内閣は、治安維持のために軍隊の力を利用するため、戒厳令を敷きたかった。しかし、戒厳令は「戦争」か「暴動」が起きて治安が実際に乱れていないと発出できない。そこで、どこからともなく出てきた「朝鮮人の暴動」のうわさを確認もせず、これを根拠に戒厳令を敷いて軍隊の出動に成功する。(それを狙ってうわさを流させたとの説すらある)
ともかく、民間自警団による殺害、軍隊による殺害、そして警察も朝鮮人、中国人、日本人を殺害した。暴徒から朝鮮人らをかくまった隣人たる日本人、身を張った警察署長らの話が、特別に美談として伝わっているのは、甚だしい殺害があったからこそ、と思う。
さて、震災の翌年、ちょうど100年前の1924年8月10日、長野県岡谷市出身の弁護士、山崎今朝弥は、こんな原稿を書いている。
(岩波文庫「地震・憲兵・火事・巡査」より引用)
選外壱等
吾々は昨年九月の震災を、この一周年に当り如何に記念すべきか、という『読売新聞』の課題に対し、選外壱等に当選さるべきものとして大正十三年八月十日書いた原稿。
(一)朝鮮人の殺された到る処に鮮人塚を建て、永久に悔悟と謝罪の意を表し、以て日鮮融和の道を開くこと。しからざる限り日鮮親和は到底見込みなし。
(二)司令官本部に宋一地蔵を建立し、永遠に無智と幼児の冥福とを祈り、以て排日問題の根本口実を除去すること。米国排日新聞の日本に対する悪口はことごとくこれに原因すればなり。
(三)セッテンデーもしくは亀戸労働祭を挙行し、亀戸警察で軍隊の手に殺された若い労働者の魂を猛烈に祭ること。日本の労働者だからよいようなものの、噴火口を密閉したのみで安泰だと思ってるは馬鹿の骨頂だ。何時か一時に憤然として爆裂するは当然すぎるほど当然である。
(引用終わり)
山崎今朝弥弁護士の指摘(一)は、ドイツの「つまづきの石」に通じる。事件が隠蔽されていくことに対する怒りを感じるとともに、忘れてしまえば日常生活に戻って、また蔑視感情をむき出しにするであろう日本人の当時の性格を肌で感じていたのだろう。
そして(二)は甘粕憲兵大尉による大杉栄殺害事件で、無関係の甥で6歳にすぎなかった橘宗一まで殺害(もちろん、裁判抜きでいきなりアナキスト大杉栄、伊藤野枝の両人を殺したこともトンデモないことであるが)したことを、絶対忘れさせないように、二度としないように釘を刺さねば、いずれ同じことを繰り返すとの読みがある。
(三)は、いわゆる「亀戸事件」で社会主義者と目され亀戸警察署に留置されていた長野県出身の2人を含む組合労働者や、組合活動などと無関係の労働者を夜間、付近を警備していた軍隊に依頼してまとめて殺害させた事件のこと。山崎弁護士はこの事件の調査も行っていて、経過をよく知る立場にあった。それだけに、特高課から異動してきた署長がこの際労働者団体を潰してしまえと画策していたこともつかんでいたのであろう。この問題は国会でも取り上げられている。これも過ちと認めなければ、いずれ労働者の爆発が起きるぞと警告している。
100年後の今日、山崎弁護士の、一見ふざけたように見えるこの「選外壱等」が、実は大変重要な指摘だったと痛感できる。当時の山本内閣は、諸外国の目を気にして、朝鮮人の虐殺については顕著な事例のみ裁判にかけ、矮小化した記録のみ発表する一方、朝鮮人の犯罪も発表して「どっちもどっち」という形でかわそうとした。
当時「太い鮮人」を発行していた朴烈ら、朝鮮人運動家を何の嫌疑もなく逮捕し、数年かけてようやく天皇暗殺をたくらんだ大逆事件として発表したのも、こうした「どっちもどっち」で逃げようとした形跡がありありとしている。もっとも、山本内閣は震災の年の暮れ、「日本人青年」による摂政(昭和天皇)狙撃事件の責任を取って総辞職するのだから、皮肉と言えば皮肉である。
◇
こうしてみてくると、震災のどさくさに紛れてやりたいことをやったのは、警察であり憲兵であり、治安維持法の基礎となる法律を作った政府だったと言えるのではないか。朝鮮人暴動のうわさを警官が事実のように伝えていたという証言や張り紙があったという証言はいくらでも残っている。それが、未確認のうわさでも注意させようとしたのか、意図的なものかに関わらず、恐怖に陥っていた罹災者に目的を持たせ、行き過ぎるところまでさせてしまった事実に、政府は向き合えなかったのだ。
さて、先に触れたトンデモ本も参考資料として使った「現代史資料6 関東大震災と朝鮮人」。これは、震災関連書類の翻刻であり、基本的に一次資料の集成である。ここの中にある重要な2点を紹介しておきたい。
まずは、臨時震災救護事務局警備部の9月5日の打合せの際、極秘としてつくられた「朝鮮問題に関する協定」。まず、外部に対する官憲の態度として、以下を「真相」として示すようにとし、「朝鮮人にして混雑の際危害を受けたるもの少数あるべきも、内地人も同様の危害を蒙りたるもの多数あり」と、ドッチモドッチ論を提示。そして「朝鮮人の暴行または暴行せむとしたる事実を極力調査し、肯定に努むること」とあり、この段階に至っても、震災の司令塔たる救護事務局警備部には朝鮮人の犯罪情報がなかったことを示す。共産主義者に扇動された400人の暴動などがあれば、こんな苦し紛れの極秘協定など、全く不要であったろう。しかも、肯定に努めるということは、針小棒大に取り上げよということになる。
一方、臨時震災救護事務局警備部は、9月11日に日本人が主に朝鮮人を殺害した事件(傷害事件、と矮小化開始)の取り扱いを協議している。こちらは、情状酌量すべき点少なからざることから全員を検挙せず、顕著なものに限定することを決定、逆に警察権に反抗したものは厳正にとしている。そして検挙はゆっくりはじめるとした。
情状酌量すべき点少なからずとあるのは、全員検挙をした場合、警察や軍が自ら朝鮮人の脅威をあおったことがはっきりしてしまう点、あまりにも被害者が多いと諸外国の反発を受けて復興債券を買ってもらえないと考えたことなど、理由は複数ある。
以上、2回の打合せ方針による捜査結果が10月20日に発表されるのであるが、これでは正確な数字が出るはずもない。山田昭次「関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後」では、司法省が発表した朝鮮人の犯罪は、42件138ー139人。このうち容疑者の氏名不詳か所在不明が24件119-120人となっていて、強盗強姦放火殺人関連は1件を除きすべてこの中に入る。司法省が犯罪者としたものの八割以上が容疑者を特定できておらず、従って朝鮮人の犯罪という決め手もない。もちろん当事者不明だから起訴できない。でっち上げと言われても仕方がないような内容だった。
残りはまだ判決に至らない容疑者であり、18件中11件が窃盗だが、東京区裁判所が9月1日から11月30日までに受け付けた窃盗の数は4409件にものぼる。そして、山田はこれら犯罪には政治性がなく、暴動の証拠にはならないと指摘している。
このような、でっち上げに対して、当時でも石橋湛山らは激しい批判を展開している。同じ資料を読み込んでも、トンデモ本と真実に迫ろうとする人の間には、これほどの差が出てくるのだ。(敬称略)
都合の良いところをつまみ食いしても、それは他者の不審を生むだけである。犠牲者数については、当時の政府が正確な数字を調査しなかったばかりか、調査を妨害までした責任が大きい。その事実を見つめることなくして、真剣に調査した人たちの結果を否定しうるのか。正確と言えない側面があったとしても、それは調査側の責任なのか。
将来の近隣国との友好を保つため、事実を直視することを躊躇することがあってはならないだろう。真の友好は事実関係を認めることからでしか出発できないし、それは加害側の責任であろう。「未来志向」は、その先にある。
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