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戦時下、飛行機を飛ばすためヒマ増産—現代にも見直せる資源
太平洋戦争に突入した翌年、1942(昭和17)年ごろから、大政翼賛会より隣組にヒマの栽培が奨励されました。実を絞ることで機械の潤滑油などに使える「ひまし油」を回収するのが狙いです。こちらの写真は、大政翼賛会総裁、東条英機より和歌山市のある町内会連合会に出されたヒマ供出に対する1943(昭和18)年7月1日付けの感謝状です。
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長野県でも、隣組などさまざまな団体が取り組んでいます。こちら、現在の伊那市に当たる伊那町山寺区が取り組んだヒマ栽培強調週間の回覧です。ヒマから取った油がなければ飛行機が飛べないと強調しています。こちらは2023年の展示会で紹介させていただきました。
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また、国策協力にと、同じ長野県の飯田市の書店は店のしおりでヒマ栽培を訴えています(右)。表に飛行機とヒマの絵、裏に説明文で「沢山植えましょう」とあります。また、左は同じく長野県内で作られたもので、家庭ごとの生産量を書かせるカードです。1944(昭和19)年度とあり、終戦まで貴重な原料として生産されたことを裏付けています。こちらも展示会でご覧いただきました。(まだパネルに入れたまま…)
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生産奨励のため、国策紙芝居も作られました。こちらは大政翼賛会選定のヒマ増産奨励画劇「雄魂に応えん」です。国策紙芝居は、政府や軍の施策や要望、そして娯楽にもなるようにと生産されたもので、大半は大人向けで隣組や工場、事業所などで上演されました。
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「雄魂に応えん」は、陸軍の飛行兵になった一人息子が戦死する場面から入ります。そこに、隣組にヒマの割り当てが来ます。皆がしぶっているところ、息子を失ったその母親が「飛行機を飛ばすために役立つなら」と真っ先に引き受けます。その姿を見て、村民も協力、秋には大量のヒマが出荷されるという内容。1944(昭和19)年8月10日の発行です。
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長野県内でも、各地でヒマが栽培されたことは先に述べました。現在の白馬村で少年時代を過ごした方にお話しをうかがったところ、ヒマの実は毒があるから食べたらだめだと言われていたが、腹が減って仕方がないので、芽なら大丈夫だろうとおっかなびっくり採取して、炒って食べたということです。ちなみに、おいしかったけど、とても怒られたと。それでも実はたくさん付き、表彰されたと笑っておられました。
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そして、終戦後の信濃毎日新聞にもヒマの話は出ており、せっかくの資源だからきちんと採取して復興に役立てようと呼び掛けていました。戦争のためと取り組んだことではありますが、再生可能な資源を生かす姿勢は、平和な時代にこそ見直していい技術かもしれません。現在も実は輸入ではありますが、ヒマ由来の油は国内で現在も生産されています。
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