根も葉もないことでも繰り返せばーが現代も息づいている情けなさ
表題写真(全体はこの後に)は、大阪を本拠とした国粋大衆党が1932(昭和7)年2月10日の紀元節に合わせて発行した冊子「大阪朝日新聞は正に国賊だ!」です。(収蔵しているのは、3月1日発行の第7版)
国粋大衆党の名前は出さず「大阪朝日新聞不購読広告掲載禁止連盟」などど名乗っています。
参考までに、このころの朝日新聞は、満州事変の速報合戦を大手紙同士で展開するなど、特別に反戦をうたったりすることなく、戦争を素直に報道し後押ししていた状況です。また、政府や軍部の批判を書こうとしても、報道内容の縛りが現代とは比較にならない厳しさがあり、検閲もありました。
さて、「国賊を亡すことが国民の最大義務だ」「国賊新聞正体暴露」などと書いてある表紙をめくり、どんな主張があるかとみてみます。
とにかく「国賊」と決めつけて、「共産化」だの「共同の敵」だの、煽情的な言葉を連呼しています。「読むな広告をするな」とか、どっかで聞いたような言葉です、というか90年以上前のプロパガンダの言葉が今も生きているように感じられるというのは、いろんな意味で情けない。
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「社是は共産主義謳歌」とある章は、レマルク著「その後に来るもの」を連載したことだけをもって非難。「内容と『その後に来るもの』の題名、既に不穏当である」と題名にまで難癖をつけます。ようするに、「その後」に何かを来させるというのは、現在の国家を転換させて、新しい国家をつくる狙いがあるとのこと。よく、そこまで曲解できますし、こういう冊子を出すということは、それにつられた人もいたということでしょう。
「大阪朝日新聞の大不敬」の章では、昭和5年の大観艦式の記事で「21発の奉送号砲を最後として、海の大絵巻のカタストローフの幕はするすると降りていった」との記述を槍玉に。「カタストローフ」というのは悲劇的不幸破滅の終結を意味するとして「国家の一大盛儀の記事中に不吉なる外国語を挿入し、皇室の尊厳を冒涜、帝国海軍の歴史を汚辱、国民思想を悪化」などと主張しております。不敬罪で告発をしたものの、裁判にならず残念だったと悔しがっていますが。わざわざ辞書的な言葉を並べてそれらしくするのも、何か既視感があるような…。大団円の意味はすべて悲劇的な、という注釈付きです。
内容の一部だけでも、とるに足らない言葉ばかりと分かると思いますが、この冊子は「序」において「反復の効果は恐ろしい」と書き出しています。怖いのはそこです。この冊子のようにまったく根拠がない、主張ともいえないプロパガンダでも、繰り返されることで次第にそれが普通になること。論理的な説明よりも、こうした感情に訴える言葉は効果てきめんです。そういう意味で、この書き出しは現代にも当てはまるのではないか。ネット環境で繰り返されるヘイト言動やこじつけ、決めつけが、なんとなく浸透する、その仕組みは今も変わらず、少なからぬ人が引きずられるのも、やはり90年経とうが変わらない。そんな思いがしてなりません。
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ささやかながら、戦時下のモノや先人の研究を学び、筋の通った戦争や差別、貧困を回避しうる言論、意見、提案、見識を発信し続けることで、幾人かでも、将来を考える心に響いてほしいと願っています。
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