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長野県出身の軍人・軍属たちー歴史の一コマとともに

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長野県出身の軍人・軍属も、全国各地と同様、多くの方がおられます。その中から、歴史の一コマとつながる場面で登場した方、さまざまな記録に登場される方、いろんな角度で紹介させていただき…
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大本営発表は「玉砕」から「全員壮烈な戦死」に転換ー「撤退」を「転進」としただけで…

 太平洋戦争当時の「大本営発表」といえば、末期にはみなうその代名詞のように思っていたとも…

戦艦大和の「水上特攻」と、大和艦長・有賀幸作をはじめとする長野県民の犠牲者たちー…

 大平洋戦争も1945(昭和20)年3月26日に硫黄島が陥落し、4月1日には、いよいよ沖縄本島ま…

徴兵検査、甲種合格、出征、戦死、そして遺族ー203高地で戦死の長野県出身・歩兵落…

 戦争とは、人が死ぬこと。そんな当たり前のことを、皆忘れていないか。生身のそばにいた人、…

中国戦線で日本軍の傍若無人と中国人の温情を体験ー独立工兵第38連隊所属・陸軍上等兵…

 またぞろ、南京大虐殺は1980年代から出てきたデマとかいう文字列を見て、気分が悪い。1937年…

敗戦後13年しても、消息不明長野県関係者が1770人も記載されていた「未帰還者名簿」に…

 こちら、1958(昭和33)年11月1日現在でまとめられた「長野県関係未帰還者名簿」です。中の…

戦時下であろうと無事で帰ってきてほしいのですが、必ず付きまとう「戦死」

 戦争がいったん始まれば、最前線に出される兵士がいるのが戦争というもの。そして、数の多少…

陸軍の所沢飛行学校を卒業、軍を辞めて初の民間人飛行士となったのは、長野県出身の長谷川清登でした

 長野県豊科村上鳥羽(現・安曇野市)に1896(明治29)年に生まれ、その後松本市の長谷川家の養子となった長谷川清登は、日本初の民間一等飛行士であり、彼の後援会が作った「笹部飛行場」は、これまた初の民間飛行場となり、日本航空界の黎明期を駆け抜けた人として記憶に値すると思います。  長谷川飛行士は徴兵で1916(大正5)年、東京の近衛騎兵連隊に入営。陸軍の下士官から1920(大正9)年、所沢航空学校に第一期下士官臨時学生として入校。翌年秋に国内初の一等飛行機操縦士試験に合格し

用済みの入営祝いの幟、布も貴重な中ではリサイクルすることもままありました

 戦前、大日本帝国憲法には徴兵の義務がありましたから、平時には成人男子が徴兵検査を受け、…

テニアンで戦死した歩兵第50連隊・松田和夫大尉の妻の手記を読むー戦争を挟む激動の80…

 1944(昭和19)年9月30日、大本営は大宮島(グァム島)及びテニアン島の守備隊が全員戦死、…

日中戦争、太平洋戦争で召集され、ビルマの戦場で看護を続けた長野県の日赤看護師・竹…

 戦争は、殺し合いです。そしてどんな戦闘でも死者が生じ、負傷者が生じます。また、南方戦線…

戦時下一切報道されず、消されていた特攻隊員・奥原英孝伍長(戦死)は長野県安曇村(…

 2024年10月7日の信濃毎日新聞に「消された 信州出身特攻隊員」「奥原英孝さん 飛行場で戦…

米潜水艦に撃沈された学童疎開船・対馬丸の船長、西沢武雄氏は長野県出身の方でした

 80年前の1944(昭和19)年8月22日、沖縄から疎開する学童780人を中心に、船員を含め1788人(…

東京ーロンドン間の飛行に世界最速で成功した神風号の操縦士、飯沼正明氏は太平洋戦争…

 民間航空育成の(背後には軍事利用の狙いがあるにせよ)愛国切手の宣伝にも使われた朝日新聞…

憑いて回った兵隊の成績

 徴兵検査を受け、甲種合格のうえ、くじにも当たってめでたく現役兵として入営した兵隊さん。2年間の現役生活の成績や取り組みは、それぞれの市町村役場に伝えられ、保管され、異動するときにはついて回ったようです。長野県の下高井郡高丘村役場(現・中野市)で作成した「陸軍下士官兵在隊間成績調書」でみてみましょう。  こちらの調書、表紙と中ほどに「兵秘」とあり、兵事係以外に見せるなという意味かと思われます。最初に高丘村からの現役兵を順番に記したとみられる名簿があり、69番から180番まで