本と旅する京都 第六回 宇治お茶の旅-朝日焼-
日本三古橋のひとつに数えられる宇治橋の東側、朝霧通りを宇治川の流れに目をむけながら歩いていくと朝日焼のshop&gallery、そして少し離れて朝日焼の工房があります。今回は特別に、登り窯と工房を見学させていただきました。
慶長年間(1600年頃)に開窯されたとされる朝日焼は、この宇治川のほとりで400年以上作陶を続けてきた窯元です。宇治のお茶文化とともに十六代にわたり、茶の湯の「うつわ」と八世の完成させた煎茶文化の「うつわ」を今に繋いでいます。そして、京都市内ではその火が消えてしまった登り窯も朝日焼では現役です。
「道具には神様がいる」という先々代、先代の教えのもと、お正月にはしめ縄を飾り、お灯明をあげ、窯を炊く前には愛宕神社にお参りし、大切に使われている登り窯「玄窯」。年に1回から2回のペースで焼成が行われています。ちょうど、お伺いした時は100回目の焼成を控えたタイミングでした。現在はガス窯と登り窯での焼成を併用している朝日焼。登り窯で炊く作品は直に火が作品にあたるため、作品の仕上がりのコントロールが難しく、ひとつひとつ表情が違う作品が仕上がります。茶の湯のうつわなど景色を見るような、いわば「ハレ」のうつわは登り窯で炊くことが多いのだそうです。そして、「ハレ」のうつわを世に出す誇りと自分たちの確たる美意識のもと作陶されているため、登り窯で焼成した作品は1/10程度しか世に出ないのだとか。どこまで技術を突き詰めても、その時々の状況によりひとつとして同じ景色のうつわはできない。だからこそ、自然や道具に宿る神様に敬意をはらい、作り手の想いをのせて祈るように窯を炊き、この作品が存在するのだと思うと心が震えました。
これまで引き継いできたものをどのようにして守っていくか、未来へと繋いでいけるかを強く考えるようになったという松林さん。だからこそ、継承だけではなく、新しいことへのチャレンジも必要だと感じたそう。
「最近の新しいチャレンジは?」と翠さんが尋ねると、コロナ禍で作り始めた茶樹灰釉のお茶盌について教えてくださいました。
樹齢が40年ほどになり収穫量の減った茶樹は茶農家が惜しみつつも抜根し、廃棄されます。その抜根された茶樹をわけていただき、茶樹を燃やし、灰釉にして制作した茶樹灰釉のお茶盌。
「宇治の地域の魅力ってなんだろうと考えたときに、お茶の樹は宇治らしい風土だし、農作物としての役目を終えたお茶の樹を素材として朝日焼がつかうところに意義があるなと思っています」と松林さん。この釉薬は派手ではないけれど、お茶を愉しむには適した深みのある発色が特徴です。
ついつい、新しいことを始めよう、新しいものを探そうするときは他所に目が行きがちだけど、それはこんなに身近にあったという例え話みたいですねと翠さんも感心しきりでした。
宇治の茶文化とともに、初代からの変わらぬ美意識を守り、煎茶の文化が広まるとそれとともに新しい煎茶器を生み出し、継承と変革を続けてきた朝日焼。今も新しいチャレンジに取り組みながら、朝日焼らしいうつわを世に送り出しています。
工房近くの朝日焼shop&galleryで煎茶をいただき、ほっこりとお茶の美味しさに頬を緩めながら、お茶を愉しめる喜びを嚙みしめます。こうして、宇治のお茶の文化を支える皆様に敬意と感謝を込めて、またすぐに親しい人と訪れたいなと再来を誓った宇治お茶の旅でした。
出演=松尾翠 撮影=若松亮 撮影補助=岡田亜理寿 文=佐賀裕子 スタイリング=Madam Yumiko
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?