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ティーハウス ヒグレ〈1〉


“<舞台【メルゴの微笑】チケット販売再開について>

アクセス集中によりチケット販売ページが表示されないエラーが続いておりましたが現在問題なくご利用いただけます。

皆様にご迷惑をおかけしましたこと深くお詫び申し上げます。

今後もyuuチケットをよろしくお願いいたします。”

仕事の休憩中に届いたチケット会社のメッセージを見た瞬間、私は勢いよく端末を操作し購入ボタンをタップすると休憩室に誰もいないのをいいことに力強くこぶしを掲げた。

「ネコタさん、休憩交代よ…って、なんか浮かれてるけど嬉しいことでもあった?」

アイスレモンティーを片手に休憩室に入ってきた職場の先輩に私は嬉々と”チケットの購入が完了しました”と表示された画面を向けた。

「α劇団の【メルゴの微笑】のチケットがゲットできたんですよ〜!」

【メルゴの微笑】
美形故に誰からも愛され、わがままに育ち怠慢な生活を送っていた少年メルゴ。隣国の女王の策略により追われる身となってしまうが、各地で老若男女を籠絡しその人脈から一国の王に上り詰める、という大長編小説作品だ。悪知恵を働かせ他者を振り回すメルゴの傲慢さと、孤独ゆえの時折見せる弱さ、メルゴを取り巻く個性的な人間模様にどんどん惹き込まれてしまう。一年前この作品の舞台を始めて観て以来すっかりはまって、原作を読み込み、舞台が発表されると遠方でも足を運ぶようになった。

【メルゴの微笑】は数々の劇団によって舞台化していて、演出が多少異なっているところがいい。原作に忠実なものもあればメルゴ以外の人物目線になっていたり、作品のいろいろな面を知れて面白い。

今回チケットが取れたα劇団は、人気急上昇中の劇団で【メルゴの微笑】を題材にするのは初との事だが、団員のほとんどがこの作品に影響されて役者の道を志した仲間だという。満を持してこの作品をできるとα劇団のHPに熱く語られていた。

当然ファンとしても期待大で初日、千秋楽のチケットは即完売。別日ももちろん申し込み多数で一時回線が止まってしまった程だけど、先程復旧して無事にチケットを購入することができた。

「α劇団って個性的な舞台で最近人気上がってきたところよね。チケット取れて良かったじゃない」

「本当に!サーバーが落ちた時は終わったと思ってましたよー。これで明日からまた頑張れる!」

「勧めておいてなんだけど、こんなにはまると思わなかったわ」

先輩は自分の鞄から本を取り出し、アイスレモンティーを啜った。

「他人事みたいに言ってますけど、先輩の方がすごかったじゃないですか!まさに熱狂!!って感じで。あれで先輩の印象だいぶ変わりましたよ」

【メルゴの微笑】は、ネコタさん絶対好きになるから観に行きましょう!と誘ってもらったことがきっかけで知ったのだ。普段はクールで頼れるのに、演劇の話をする時は目を輝かせて饒舌になるところに親近感が湧いて仲良くなったんだよなぁ。先輩は照れたのかズゴゴーッとアイスレモンティーを半分くらい飲んだ。

「もーその話はいいでしょ。今の最推しはβ劇団のリウ・カンラ!先月の舞台"ショウジョノ イチニチ"本当にすごかったんだから。主役の女の子が毒薬をばら撒いた時に刑事役のカンラ、いえカンラ様が……」

先月から何度も聞いている話が始まりそうになり私は慌てて「すみません!休憩終わりなのでお話はまた後で!」と切り上げ休憩室を出た。ふう、あのまま一時間はマシンガントークが続くから危なかった。ホールに戻る前に端末の画面をもう一度見てにんまりすると、足取り軽く仕事に戻ったのだった。



(よかったっっ、本当に、よがっだ…!!)

18時にスタートした公演は気が付くとあっという間に終わっていた。私は鼻を啜りながら溢れる涙をひたすら拭う。カーテンコールが終わっても舞台の余韻から帰ってこれず席から立ちあがれない人が私を含めて数名いる。

α劇団はいい意味で私たちを裏切ってくれた。一番はメルゴの唯一幼馴染ティールが第二の主人公として登場したことだ。

ティールは折に触れてメルゴの転換期に陰から支えてきた人物で、王となったメルゴとは対照的に故郷で平凡な人生を送った青年だ。

私としては常々重要人物だと思っていたけど、原作ではそんなに目立たず、他の劇団の舞台でも脇役のような存在だった。

α劇団ではその二人に焦点を当てて、彼らの葛藤や想い、メルゴが去った後の故郷の変化、そして全く異なる人生の歩んだ二人の視点をうまく切り替えて物語を歪ませず新しい見方を演出していた。役者さんもまるでキャラクターの生まれ変わりかと思うくらい生き生きとしていたし、何よりこの脚本を書いた人は本当にこの物語が好きなんだなと嬉しくなった。

ようやく涙も収まり劇場を出ると劇場から駅への道は人で混みあっていた。通りがかった喫茶店では、先ほど劇場で隣の席に座っていた女の子がパンフレットを抱きしめながら泣いているのが見えてうっかりもらい泣きしそうになってしまう。分かるよ…。

公演を観た後はいつも帰りがたくて喫茶店にでも入り、パンフレットを開きながらメルゴの世界に浸るところなんだけどこの辺は飲食店が少なくどこもすぐに入れなさそうだ。なら散歩でもしようかなと思った時、ふとα劇団のSNSにメルゴの幼馴染ティールを演じたDさんが、劇場近辺にある商店街の肉屋のメンチカツが大好物で”公演が終わったらまた食べたい”というような投稿をしていたのを思い出し、もう閉店してるだろうけど、行ってみることにした。

商店街は迷わずに来れたのだけど、予想通りほとんどの店がシャッターを下ろしていて、人通りがなく物寂しい雰囲気が漂っていた。目当ての肉屋は中々見つからないし、シャッターを見すぎてむしろゆめから醒めてしまった気分だ。諦めてもう帰ろうと思った時、無骨な3階建てビルの入口、ほとんどが唐草に覆われた半地下の店が目に入った。

今思うと、この時から呼ばれていたのだと思う。絡まった蔦で隠されているようなタイル張りの看板には、ティーカップのロゴと「ヒグレ」の文字がかろうじて読めた。

喫茶店とかだったら入ろうと階段を一段降りたところで、ふんわりと紅茶の香りが漂ってきた。それが本当にいい香りで、私は引き寄せられるように入口のガラス戸を見つめながらまた一段一段と降りていく。ガラス戸から見える室内にはカウンターがありドライフラワーが所々に飾られている。カウンターの奥は壁一面に色とりどりのティーカップと紅茶缶が並べられていて店内の明かりが反射して生き生きと輝いていた。

そして扉の向こうで小柄な人のシルエットが見えた時、頭の中に少女の声が響いた。

"ティーハウスヒグレへようこそ"

"お待ちしていました。さあ早くその扉を開けて中へお入りください……"

扉を開けようと手を伸ばすーところで、肩にかけていたカバンのひもがずるっと滑り落ちて中身が盛大に散らばった。

買ったばかりの大切なパンフレットが袋から飛び出してるのを見て、私のお宝が!!と我に返って急いで拾い上げ丁寧に鞄に戻して顔を上げると、店の中が真っ暗にいて驚く。
目を離してた少しの間に電気が消された感覚はなかったし、今まで漂っていた紅茶の香りもしない。というか、初めから電気なんて付いていなかったような雰囲気で……。そう思ったとたん急に寒気を感じて駅へと走り出した。



「ネコタさん、お疲れ様。上がりの時間だよ。今日一日体調が悪そうだったけれど大丈夫かい?」

翌日の夕方、職場の喫茶店でティーカップを磨いているとマスターが心配そうに声をかけてくれた。

「お疲れ様です!ご心配をおかけしてすみません……ただの寝不足なので気にしないでください」

帰宅後、劇場で購入したパンフレットを熟読し、端末で【メルゴの微笑】ファンの友達と感想戦をしていたら昨晩の不思議な出来事などすぐに忘れてしまった。ただ、明け方まで盛り上がってしまい、寝不足顔でふらふらと喫茶店のバイトにやってきた私に優しいマスターはとても心配してくれた。腕をつねったり、熱湯を使って洗い物をしたりしてバイト中はどうにか耐えたけれど、仕事が終わったらとたんに気が緩んで今にも眠ってしまいそうだ。

「すみません、休憩室で少し休んでから帰ってもいいですか?」

私の図々しいお願いにマスターは快くうなずいてくれた。

「ああ、いいよ。ゆっくり休んで明日もよろしくね」

「はい、ありがとうございます」

マスターに頭を下げて休憩室に入ると、うがぁー…となぞの唸り声をあげてエプロンも外さず机に突っ伏しすぐに眠ってしまった。ふと、紙を捲る音が聞こえて目が覚め、顔を上げると先輩が本を読んで座っていた。

「おはよう。ごめん、起こしちゃった?」

「おはようございます……先輩これからシフトなんですね。ふぁあ、もうこんな時間か、思ったより寝ちゃってた」

「爆睡してたね。忙しかったの?」

「昨日夜更かししちゃってマスターに無理言って少し休ませてもらってました。それより昨日のα劇団の【メルゴの微笑】すっごく良かったんで語らせてください!」

「α劇団?【メルゴの微笑】?なにそれ」

「んふふ…もうやだなぁ。だから【メルゴの微笑】ですよ!演劇の!メルゴと幼馴染のティールをメインとした脚本が本当神がかってて…」

「待って待って。まず【メルゴの微笑】を知らないから、それから教えて」

「え?」

先輩は本当にわからないと言った表情で戸惑っていて、私もつられて黙ってしまい微妙な空気が流れてしまった。そうこうしてるうちに、先輩の出勤時間になってしまい先輩は、「今度また詳しく教えてね」と言い残し行ってしまった。

先輩はクールだけど面倒見が良くて、変な冗談をいう人じゃない。
【メルゴの微笑】の公演前日に私が楽しみすぎて緊張してきたと話した時も、気持ちはわかると苦笑いしていた先輩が、次の日には”【メルゴの微笑】なんて知らない”といったことにもっと気にするべきだった。でもこの時は、まだ昨晩のことで浮かれていたし、変だなと思いつつ次会う時に話せばいいやなんて軽く考えていた。

自宅の本棚に飾っていた【メルゴの微笑】のパンフレットがなくなるまでは。


続く



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