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20代で3回転職した繊細サラリーマンが考える 今の日本が生きづらい理由

何だか生きづらいなあ…
そう思ったことはありませんか?

私は何度も思ったことがあります。
便利な世の中になった反面、景気は良くないし、悪いニュースばかりだし、やらないといけないことばかりですし。
特に、繊細な性質を持った人間にとっては、この日本はめちゃくちゃ生きづらいなと感じています。

今回は、田舎、都会どちらの生活もしたことがあり、社会人としても10年ほど経験した繊細サラリーマンの私が考える、今の日本が生きづらい理由を書いていこうと思います。

繊細な性質を持つ人も、そうでない人も、何かしらの参考になれば幸いです。
(注:この記事では解決法等は特に記載していません)


理由その1 自由を許さない慣習

私は、人間が一番求めているものは「自由」だと考えています。
特に繊細な性質を持つ人間は何よりも「自由」を求めていると思っています。

繊細な人間は、生活していく中で感じる全ての感覚を敏感に感じ取って気を使ってしまう性質だからこそ、自分でも知らないうちに他からの影響を受けたり合わせてしてしまっていたりします。

なかなか自分の思うようにならない、出来ないからこそ、本当に自由に生きることが出来る環境こそが繊細な人間の求める最終地点だと思っています。

そんな中、今の世の中、特に日本は昔から前へならえの文化で型にはまったルートを好み、はみ出し者を許さない慣習を持っています。

国家ができる前から、生きていくために家族や村なんかの小さいコミュニティを作り、みんなで協力をして食料を採取したり育てたりしていかないといけなかったので仕様がないことなのですが、その同調を好む慣習は多様性が求められると言われる現代でも根深く続いています。

同調を好むこと自体を否定しているわけでは全くありません。
ただ、皆と一緒のことをしないといけない、一般的なルートを進まないといけないという中で、色んな人の意見がぶつかり合ったり投げかけられる環境では、繊細な人間はみんなの感情や意見を嫌でも拾ってしまい、なかなか自分の意見が言えなかったりサポート役に徹してしまって、本当に自分がやりたいことをすることが出来ないことが多いのではと思います。

自分もそんな一人でした。

私は元々はリーダー的な資質は持ち合わせてないはずなのですが、他人の顔色を伺ってその場を取り繕うのが得意なだけで、小さい頃からまとめ役を担うことが多くありました。
(自慢というわけではなく、田舎で人数が少ないということもあり他に出来る人がいなかったのです)

また進路を決める時でも、親や先生の言うとおりにしないといけない、反対をしてはいけないと思い、自分の本音をぶつけられないままやり過ごして進路を決めていました。

正直、私ははたから見ればそれなりの進路を歩むことが出来たのでそれ自体が100%悪いとは言えないのですが、回りが求める無難な進路を進むことで、結果的に今でも自分のキャリアにしっくり来ずに右往左往して悩んでいます。

先生や親からしてみれば私は強く意見を言うこともなく、期待していることを無難にこなしてくれる存在なので、とても良い子に映っていただろうなと思います。

繊細さを活かして上手く生きているとも言える反面、全くそんなことはなく、上手くその場をやり過ごすことが出来るだけで本来の自分を表に出せないまま生きている、とも言えるのです。

ここだけを切り取ると繊細ではなくても当てはまる人が多いと思いますが、
一番の問題は繊細だからこそ自分の存在価値(内から出る欲求や夢)を感じないと生きる意味を見失いがちだという点です。

本当に自分がやりたいと思えること、求めているものを実現できない限り、自分自身で今やっていることに納得感がないのです。
私はその点もあって2社目の職務で適応障害になり休職&退職してしまうことになりました。

自由を許さず前へならえの環境は、時に人を良い子ちゃんにして生きる意味を見失わせてしまうのです。


理由その2 インプット情報が多すぎる世の中

コロナ禍を経て情報化が加速して進んだ現代は、特に本当に生きづらくなったと感じます。

なぜかというと、オンライン化が急激に進んで、何でもかんでもスマホやPCで情報のやり取りができるようになったため、処理しないといけない情報が多く、人間的な活動に余白が生まれなくなったからです。

そもそも色んな感覚を敏感に感じ取ってしまう繊細な人間にとって、外部からの情報はよくも悪くも「強い刺激」になります。

動画1つ見てもイラストや音声、文字やストーリー、制作者の意図や背景などを感じ取って、またそれに対しての意見を考えてしまうので、知らないうちに必要でないことにも脳を使ってしまいます。

仕事でも、対面の業務が必要ない職種であればリモートが基本になり、チャットやメール、オンライン会議なんかで目から情報を入れて処理をしないといけない業務形態が多くなっています。

その結果、昔以上に脳を使ってしまって通常より疲れてしまう状態が続いてしまっていると感じています。

色んな情報をすぐに得られる環境自体はとても便利でよいことだと思うのですが、必要以上に脳や感情を使ってしまったりしているので、疲れてしまうのは当然です。

特に最近は不特定多数の人が1つのコンテンツに対してコメントや意見を述べて、それを別の人が見ることが出来ます。

自分にとってポジティブな意見ばかりであればいいのですが、ネガティブな意見や理解ができない意見も多くあるので、見るだけで嫌な気持ちになることもあると思います。

元々、100年くらい前までほとんどの国民が農業だけをやってきた日本人が、脳の構造は変わらないのに処理しないといけない情報だけが増えてきているので、脳のキャパがいっぱいになってしまっていて、日常生活に余白も生まれるはずがない環境になっていると感じています。

また、私は特に他人発信で入ってくる情報がとても苦手です。

自分から投げかけて帰ってくる情報だと心の準備が出来ているのでいいのですが、例えば電話やメール、チャットなどで他人の都合で投げかけられる情報は自分の領域を勝手に侵してくる情報になりうるので、心の準備をしていないととてもしんどくなる時があります。

必要ない情報が勝手に自分の中に入ってきて処理をしないといけないこの現代は、普通に生きているだけでも疲れる環境だと感じます。

オンライン化は便利になった反面、それ以上に本来の人間としての営みと相反するな、と本当に感じます。

前よりも楽しいことやワクワクするような妄想をする余裕がなくなったなと感じていたら、
自分が日常でどれほど情報にさらされているか、処理をしているかを一度振り返ってみてください。

私はコロナ禍から色んな情報にさらされすぎて趣味や楽しいことを考える心の余裕も無くなっていました。

YouTubeのショートやSNSを見ることも面白いですが、以前まで感じていた興味や意欲が無くっているかもと思ったら、思い切って情報を取捨選択したりシャットダウンすることも考えてみてほしいと思います。


理由その3 鈍感な人間が幸せになりやすい世の中

結局、他人の言うことや環境の変化に鈍く、嫌なこともすぐ忘れられる人が幸せに生きやすい世の中だととても思います。

会社なんかでは偉くなればなるほどプレッシャーやストレス、非難をされる立場になりますが、今まで私が見てきた中でも、そういう立場の人は何を言われても気にしない鈍感な人がほとんどでした。
会社の役員の方で、昨日自分が言ったことを忘れるような人もいました…

些細なことでも取り沙汰されて議論が巻きおこる時代では、他人の意見や要らない情報に振り回されずに自分のペースで過ごせる人が最終的には幸せに死んでいけるのだと思います。

また、色んなサービスや商品、コンテンツ、コミュニティなど何から何まで、基本的には繊細ではない人基準で作られていると感じます。

世の中で形成されるもののほとんどが繊細な人を考慮せずに作られているので、居心地が悪いのは当然です。

例えばですが、私はホテルの部屋のレイアウトでもドアから自分の寝姿が見られるような配置だと廊下の人の気配が気になって中々寝付けないことがあります。
また外食なんかをしても、カウンターで隣の人と肘が当たるような近さだと、横の人が気になって早く食べてすぐに出てしまいがちです。

その時には気になっていなくても、繊細さがあることでどこかでストレスがかかるものが日常生活で多いなと感じます。

以上が、私が考える今の世の中が生きづらいと感じる大きな要因です。

本当は今日のご飯のことだけを考えて、日が昇ったら起きて日が沈んだら寝るというような、野性的な暮らしが一番健康的なんだと思っています。

必要のない情報やしがらみを切り捨てて、生きていくことが出来たらいいのですが、今の時代に生きている以上何ともしようがありません。


今回は生きづらい「理由」にフォーカスした内容になっていますが、今後私の考える「生きやすくなる工夫、方法」の記事も書いていきますので、ぜひそちらも読んでみてください。

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