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9年間不倫した父親と娘の私

「今度は制服着てしちゃう?あれ、奥さんとはやったんだっけ?」

父親の不倫の証拠を見つけたのは、娘である私だった。
今でも覚えている。その日は、私が高校3年生になる新学期の前日だった。

■父親との思い出と性的虐待

父親は気性が荒く、怒ると私をすぐ殴った。

私が小さい頃から、父親はほとんど家にいなかった。
父親は、アウトドアが趣味で、休日は出かけていたし、会社の帰りも遅かった。

私は3歳の頃から、休日は毎週近く、父親に登山、スキー、鉄道にとアウトドアの趣味に連れていかれた。
母親は同行せず、家族旅行という感じではなかった。

最近知ったのだが、父親は当時、ブログをしていてそのネタに私を利用していたらしい。
勝手に私の写真がブログに載せられていた。

別にアウトドアが好きではなかった私の意思関係なく、行きたくないと泣き喚く私を怒鳴って、いろいろな場所に連れていった。

その当時の私は、人形遊びやプリキュア、絵本、映画がすきなインドアな少女だったので、片道4時間以上かかる山道や、泥臭い自然が嫌だったのだ。

今思えば、いろいろな場所に連れていってくれたと思えるのだが、当時の私は本当に連れていかれるのが嫌で、父親が好きじゃなかった

父親が車を運転したのだが、気性の荒い父親は運転も危なく、何度も怖い思いをしたし、トイレに行きたくても怒られた。

そんなこんなで父親とアウトドアに行くことは、なんと小学6年生まで続いた。9年間もこんな思いをしたのである。

むしろ、父親と関わったのは、ほぼ、この無理やり連れていかれたアウトドアくらいしかない。

成長期の早かった私は、小学6年生でもう身体が成長して胸など発達していたが、まだ無知だったので、父親に言われて何度か混浴に入って、そこにいたおじさん達に触られたり、いろいろ言われるということを経験した。

今でも覚えている。

「お嬢ちゃん。そんなにおっきぃのに入っちゃっていいのぉ?おじさん達の見るなんてえっちだねぇ」

その時はよく意味がわからなかったが、今ならわかる。ゾッとする。

ニタニタしながらおじさん達に囲まれた混浴。
成長期で胸が発達し始めている小学6年生の少女。

父親は何も助けてくれなかった。むしろ、父親は、私と温泉に行く度に、カメラで裸の写真を撮っていた。

今思えば、父親は私のことを性の対象として見ていたのかもしれない。

誰にも言えなかったけれど、小学4年生の頃だろうか、父親と風呂に入った時に、父親が

「ここちゃんと洗ってる?ちゃんと洗わなきゃダメだよ」

と言って、私の陰部をしつこく触ってきたのである。

とても痛かった。たぶん、膣に指でも入れられたのかもしれない。

怖くて誰にも言えなかったし、どうしてそんなことをされたのか当時はわからなかったが、今はわかる。

たぶん性的虐待だった。

私が中学生になると、父親は単身赴任して全くかかわらなくなった。そして、その頃になってようやく、今まで父親にされたことを理解し、父親への嫌悪が高まっていたため、父親が嫌いだった。

1ヶ月に1回、父親は家に帰ってきたが、空気は最悪だった。

誰も歓迎しない。

私も父親が嫌いだし、母親と父親も私が物心ついた時から不仲で、誰も会話しなかった。

だけど、高校生になった私は、父親はやっぱり父親だから、仲を改善したいと思って、父親に寄り添うようになった。

■父親が恋みくじで大吉、母親は凶

高校3年生になる年の元旦に、私は父親と母親を誘って、近所の寺にお参りに行った。

嫌そうに写る両親の写真が今でも残っている。

それが家族として最後の写真となる。

いつものように、おみくじをひくと、父親は恋みくじで大吉、母親は凶をひいた。

そのときはなんとも思わなかったが、後々、それが私達家族の将来を意味していたこととなる。

■女の勘で父親のスマホをチェック

高校3年生になる新学期の前日、父親が久しぶりに家に帰ってきた。

その頃、私は、父親が昔と比べてなんだかよそよそしく、より家族に興味がなくなった感じがしていた。

私は、それを母親に相談した。
そして、母親が思い切って、父親にスマホを見せて欲しいと頼んだ。

私は、いざと言う時のために、ボイスレコーダーの録音を開始してその場に臨んだ。

父親はスマホを見せるのを嫌がった。

怪しかった。

ずっと追い詰めても絶対に見せなかった。

そして1時間くらい経った後、諦めてやっとスマホを見せた。

母親はそれを見ると、「あぁ、別に何もないじゃない。なんでそんなにコソコソしてたの」と言って気が済んでどっかへ行ってしまった。

でも、私は絶対に何かある、と思って、母親から父親のスマホを奪い取り、よく見たら、衝撃なものがたくさんあった。

不倫相手とのメール9年間分。
スケジュール表に載っているラブホテルの名前。
知らない女達の写真。
知らない女と行った旅行の写真。

私が全て見つけてしまった。

最初、これを言うか迷った。

母親は、抜けているから、気づかなかったが、このまま知らないでいたら、私の家族は崩壊しないかもしれない。

だけど、ここで私が言ってしまったら、必ず離婚になる。


迷った結果、母親に言った。

■不倫相手とのメール

不倫相手とのメールは全て印刷してチェックした。

衝撃的な内容ばかりで、生々しく、娘がみるには辛すぎた。

親の性事情、性の趣味なんか知りたくなかったし、気持ち悪かった。

いわゆる、「アダルトメール」みたいな、吐き気がするようなやりとりだった。

中には、娘の私の悪口も書いてあってショックだった。

私の学歴に対する劣等感もたくさん綴られていた。
娘の成績を喜ぶのではなく、敵視して憎んでいた。

私は父親が好きじゃなかったけど、父親は父親だから好きになりたかった。でも、父親は昔から私のことが嫌いだったし、そもそも子供なんていらなかったらしい。

父親は行為中にコンドームを着けるのが嫌だったから、避妊に失敗して、仕方なく私を産んだらしい。

父親の“生”好きは今も健在で、不倫相手とも9年間、生でしていた。

なんでこんなことを17歳の娘の私が知らなくちゃいけなかったんだろう。


■私さえ生まれなければ

「おまえさえ生まれなければ」

両親は、大喧嘩の末、この結論にたどり着いた。

できちゃった婚で始まったこの家庭。
私が生まれなければ、2人は結婚しなくて済んだ。

私は産まれる前からその誕生を望まれていなかった。
2人は結婚するつもりは無かったのに、私のせいで結婚せざるを得なくなり、さらに、そんな中生まれた私は父親に懐かなかった。

それが今回の原因だと、2人は言った。

せめて、私が父親に懐いていたら両親は離婚していなかった。

母親にもそう責められた。

「離婚するのはお前のせいだ」

離婚は娘のせいだと両親は言う。


■両親への失望

私は両親に失望した。

こんな人間だったのか。

正直、できちゃった婚に関しても、「生でするのが好きだから」という馬鹿な理由で失敗したことに、かなり軽蔑感を抱いた。

気持ち悪い。

こんな親の元に生まれたことにショックだ。

それに、できちゃった婚によって結婚したこと、その後上手くいかなくなったことを全て娘のせいにする、その考えも失望した。

私だって人のことは言えないが、なんでも責任転換して逃れる両親を、私は軽蔑している。

■機能不全家族

17歳にして、私は自分の家が機能不全家族だと気づいた。

そして、私はアダルトチルドレンなのだとも。

アダルト・チルドレンとは、子どものころに、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そしておとなになった人たちを指します。子どものころの家庭の経験をひきずり、現在生きる上で支障があると思われる人たちのことです。それは、親の期待に添うような生き方に縛られ、自分自身の感情を感じられなくなってしまった人、誰かのために生きることが生きがいになってしまった人、よい子を続けられない罪悪感や、居場所のない孤独感に苦しんでいる人々です。

両親のせいにしたくないけど、私の思考は異常で、信じられないくらい、自分の人生を両親に捧げている。そして、異常に自己肯定感が低い。

両親は、私に大きな影響をもたらした。

父親は、性的虐待と不倫、母親は過保護と毒親、という形で。

父親は9年間の特定の相手との肉体関係、また、出会い系サイトで出会った女数人とも肉体関係を結んでいた。

不倫が発覚し、別居し、離婚調停が進む今ですら、父親はまだ出会い系サイトを使って様々な人と肉体関係を結びながら、同じ職場の不倫相手Kとも関係を続けている。

私は、そんな人間が父親であることを信じたくないが、いつかは父親の気持ちもわかってあげたいと思う。でも、父親の気持ちに寄り添うということは、同時に自分の誕生の否定にも繋がるため、どっちみち苦しい。

父親は、私が嫌いなので、大学の費用も払ってくれないという。養育費も渋っている。それなのに、私に「俺の気持ちも考えろ」と言い、定期的に会うことを何故か要求している。

■ありもしない幸せな両親が夢にでてくる

幼稚園くらいの私と幸せそうな両親が3人で食事をしているような夢を何度も見てしまう。

私が幼稚園の時くらいはまだ3人で食卓を囲んで話すということがあったのだろうか。それとも、私のただの願望なのだろうか。

私は、切に、幸せな普通の家庭に憧れ、望んでいる。

私の周りには、年収が高く、社会的地位の高い職業につく両親が揃う幸せな家庭をもつ友達ばかりで、その話を聞く度に心が痛む。

もちろん、自分の話なんてできない。
家族の悩みを誰かに話したことは一度もない。
苦しみも悩みも全部、1人で抱えてきた。

ありもしない、私達家族3人で笑いあっている夢をみては涙を流して目が覚める。

私は、家族を失った。

二度と、家族は戻らない。

普通に両親が仲良くて普通に家族でいられることを当たり前に思わないで欲しい。

CMで家族が団欒している風景を見ても悔しい思いをするだけだ。


私は、できちゃった婚じゃなくて、誕生を望んで欲しかった。

両親が仲のいい家庭に生まれたかった。

もっと家族旅行とかしてみたかった。

家族で仲良くご飯を食べてみたかった。

父親に相談したりしてみたかった。

結婚相手ができたら両親に見せに会いに行きたかった。



でも、幸い、両親は生きている。

もう、再び修復することのできない繋がりだけど、いつかはまた家族が「家族」になれますように。

父親は父親しかいないから。

#不倫 #機能不全家族 #アダルトチルドレン #父親 #性的虐待 #家族

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