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料亭の真実(完結編)


東京はT区にあるIという料亭、テレビや雑誌の取材をしょっちゅう受ける人気店だ。
しかしその裏側では、、、

僕が料亭Iで働き始めて1年以上が経とうとしていた。入りたての頃にいた人達は古くからいた板前さんも含めて殆ど辞めてしまい、板場はSさんと言う50代の女性と僕と同年代の韓国人留学生が数人。
後は、オーナー兼板長の「だんなさん」の親族で回っていた。

この頃になると、この料亭の人材を採用して、辞めさせるまでのパターンが分かってきた。

まず、まとめて2、3人面接、採用する。
3日ほど様子を見て、その内要領が良くて、従順な人を選び、やたらに褒めたり、厚遇する事をチラつかせて、辞めないようにガッチリ捕まえてしまう。

要領の悪い人や、仕事ができても不満をはっきり主張する人には一族総出で、挨拶、返事をしない、悪口、悪い噂を流す。仕事を与えないで突っ立たせたまま放置などの波状攻撃をしかけるのだ。
大体これで殆どの人が辞めるが、稀にいるメンタルの強い人に対しては、些細なミスを見つけては怒鳴り散らし、自分から辞めるように仕向ける。
そしてトドメに

「お宅の勝手で辞めるんだから、給料なんか出ないよ」
パワハラどころじゃないです。犯罪ですね。でもこれが真実です。

だんなさんは人としては、最悪だったが料理の腕は素晴らしかった。若い頃に京都の料亭で修行して磨いた包丁捌きは、見ていてうっとりする程だった。
盛り付け、味付けも完璧。習字や絵画もたしなむ才人だ。

毎日3時に起きて、自ら築地で仕入れてきたカツオやメジマグロ、キハダマグロをあっという間に柵にしてしまう。和洋中なんでもこいの紛れもない、料理の鉄人だった。

だから僕は、技のひとつやふたつ盗むまで何としても生き残ってやる。と密かに燃えていたのだ。

だが、料亭Iの板場の雰囲気は日増しに悪くなっていくのだった。

誰に対してと言うのは、覚えていないのだが、だんなさんは例のごとく怒鳴り散らしたあげく、その日は手に持っていたキメ箱(仕出し料理の運搬等に使う箱)を思い切り、開け放たれたドアに向かって投げつけた。
そのまま外まで投げ飛ばすつもりだったのだろうが、キメ箱はドアの枠に当たり跳ね返って、揚げ物をしている婆ちゃんの揚げ鍋に当たってしまった。
幸い鍋はひっくり返らなかったが、油が大きく跳ね上がり「ぎゃー」という声が板場に響き渡った。

婆ちゃんは顔を押さえうずくまった。 

だんなさんは青くなり、立ち尽くしていた。

僕は製氷機のある場所へ走った。

婆ちゃんの顔に氷を当てて、病院に連れて行った。歩く道すがら、婆ちゃんは「私顔、どうなってる?」と何度も聞いてきた。

僕は「うん、そんなにひどく無いみたい」
と答えた。

本当は両眼のまぶたが真っ赤に腫れ上がり、相当酷い火傷だった。  

明くる日、婆ちゃんは普通に出勤してきた。
戦中生まれはマジハンパねぇ。

だんなさんは、しばらくは大人しかったが、3日もすればすっかり元どおり。些細な事で怒り狂い、おさまった後はブツブツ嫌みを言い続けた。

ある日またKに責任をなすり付けられて、いい加減頭に来た僕は50代のアルバイトの女性Sさんに
「おれ、そろそろ限界かも。辞めようかな」と漏らした。するとSさんは、号泣してしまった。

そんなに寂しいのかな、、、?

「山田君が辞めると、、、私が標的になっちゃう」

そっちかーい!!!

「泣かないでよ!じゃあSさんが辞めてから、おれも辞めるよ」

数日後、Sさんは本当に辞めてしまった。
皆、本当に自分の事しか考えられなくなっていたのだ。もう末期状態だな。と僕は思っていた。

僕が料亭Iで働き出して2年が経とうとしている。その頃また新たな生贄が、、じゃなくて、何人かバイトが採用され、住み込みの若い板前さんも板場に加わった。

その中でも20代前半のFさんという女性は美人で仕事も早い。だんなさんのお眼鏡にかなったようで、僕の仕事の殆どはFさんと新しく入った板前さんに任される様になった。

僕が挨拶しても、だんなさんは返事をしなくなった。煮方の仕事も回って来なくなった。
他の皆もなんだかよそよそしい。

そうだ、遂に僕の番が来たのだ。

普通なら辛い事なのだろうけど、僕は気が楽になった。そして実にあっさりと、だんなさんに辞める事を伝えた。だんなさんはただ一言「仕方ないね」と言った。

最終日、だんなさんに貰った包丁をきれいに研いで、サラシで巻いて、板場の上の階にある住居へと繋がるエレベーターに乗った。

えっ?違う違う!
刺し殺すつもりじゃないよ!

「今日で最後です。お世辞になりました。包丁、ありがとうございました!」

目を逸らさず大きな声ではっきり言った。

だんなさんは包丁を受け取り「おつかれさん」と言った。

数年後、例の火傷をした婆ちゃんと道ですれ違った。最近の板場の様子を聞くとニタァっと笑いながら、

「火が消えたようって言っちゃいけないよ、いけないんだけど、火が消えたように静かだね」

なんだか嬉しそうだ。

「だんなさんは元気?」

婆ちゃんはその質問には答えずにただ、

「かわいそうな男だよ」

と答えた。

さぁ!以上『料亭の真実』完結編、でした!
面白かった?僕は書いていて、始めてこの懐かしい日々と向かい合えた気がします。
まだまだエピソードがあるのでまたいつか、機会があれば書こうと思います。

石原裕次郎『わが人生に悔いなし』
一度だけ皆でカラオケに行った時、だんなさんが歌っていた。


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