山田せんろ

富山県出身。たまに歌います。 浅川マキ、高田渡が好き❤️ 仕事はずっと飲食。

山田せんろ

富山県出身。たまに歌います。 浅川マキ、高田渡が好き❤️ 仕事はずっと飲食。

最近の記事

ハート・オブ・金ちゃん

2020年、6月18日。 金ちゃんは亡くなった。 道端で血を吐いて倒れたらしい。 享年42歳。 金ちゃんとその奥さんは、当時僕が働いていた焼き鳥屋の常連だった。 共通の知人友人も多く、僕らは自然と仲良くなっていった。 金ちゃんはいつも、ベロベロに酔っ払っている。 町で金ちゃんに出会くわすと、ストロングゼロ片手に「オメェよう、あのよう、このヤロウ」と憎まれ口を叩きながら、戯れてきた。  向こうから金ちゃんが、フラフラ歩いてくるのが見えると、サッと隠れたものだ。 ごめ

    • 給食室の天使たち③

      給食室の朝は早い。分かっちゃあ、いたが、 やはり早い。 6時半からの出勤のはずだが、早い者は6時前には、仕事を始めている。しかもサービス始業。 修行僧か。 初日、6時過ぎに「おはようございます!」と給食室を覗き込んで挨拶をしたら、Xさんに、ギロッと一瞥されてしまった。新入りが先輩より遅く来たら、気分は良くないだろう。 はぁ、、、何処も一緒だねぇ。 早く来て、遅く帰る。残業代は勿論付かない。 好んでやっている訳じゃないんだろう。 そうしないと、間に合わないのだ。 今日の

      • 料亭の真実(完結編)

        東京はT区にあるIという料亭、テレビや雑誌の取材をしょっちゅう受ける人気店だ。 しかしその裏側では、、、 僕が料亭Iで働き始めて1年以上が経とうとしていた。入りたての頃にいた人達は古くからいた板前さんも含めて殆ど辞めてしまい、板場はSさんと言う50代の女性と僕と同年代の韓国人留学生が数人。 後は、オーナー兼板長の「だんなさん」の親族で回っていた。 この頃になると、この料亭の人材を採用して、辞めさせるまでのパターンが分かってきた。 まず、まとめて2、3人面接、採用する。

        • 料亭の真実(中編)

          今から20年以上前、僕がアルバイトをしていた料亭でのお話。前編と後編でまとめようとしたのですが、次から次へと、怨念、怨恨、トラウマエピソードが浮かんできたので、今回は中編として発表させていただきます。 ウラミィ〜マァスゥ〜 煮方の補助という、微妙なポジションを与えられた次の朝、僕はだんなさんに呼ばれた。 「山田君、この包丁使って」 築地の有次(ありつぐ)の刃渡り30センチほどの牛刀を渡された。新品だ。 え?くれんの? ラッキー♪じゃなくって、、、 もう後には引けない。

        ハート・オブ・金ちゃん

          料亭の真実(前編)

          あれから何年も経ったのに、未だに何度も夢見てしまう。そんな悪夢が誰しも一つや二つあるのではないでしょうか?あれっ?ない? 僕には3つあります。 ひとつは中学生の頃、数学の授業で学年主任の鈴木先生に罵倒され続ける夢。 もうひとつは結成したばかりのバンドの初のリハでギターのネックが折れてしまった時の夢。 そして最後のひとつは、、、 僕が上京して初めて勤めた飲食店はT区にある、その辺りでは有名なIという料亭だった。 皇室の方もお使いになった事があるとか、、、 あー、なんかバイ

          料亭の真実(前編)

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          山田せんろ、生音ライブ

          筆者の弾き語りライブです。 良かったら是非ご視聴ください。

          山田せんろ、生音ライブ

          再生

          給食室の天使たち②

          てな訳で、給食の委託会社で働く事になった。 リモート面接を受けて、あっという間に内定。 人手が足りてないのは飲食業界、何処も一緒なんだろう。 エリアマネージャーと云う人物から、電話が来て某小学校の給食室に配属になった事を聞かされた。 「初日は先生との挨拶もあるので、それなりの格好で来て下さい」 先生、、、校長先生?それとも職員室に行って、先生方の前で挨拶するんだろうか、、、。 僕はそれなりの格好だと思われる格好で、指定された学校の前から、教えられた電話番号に電話した。

          給食室の天使たち②

          給食室の天使たち①

          この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとはたぶん関係ありません。。。 「きゅうしょく きゅうしょく うっれしいな〜♪ おててもきれいになりました〜 みーんなそろってごあいさつ♪」 3歳の娘が、覚えたての歌を歌っている。 40年前に僕が幼稚園で歌っていた給食ソングが、未だ歌い継がれていたとは、、、 妻と幼子とテーブルを囲んで、テレビを観ながら夕食を摂る。 居酒屋に勤めていた頃に憧れていた、食卓の風景が、ここにある。 4月に転職

          給食室の天使たち①

          首肩腕指

          実はちょっと体の具合が悪いんです。 健康には割と自信があったものですから、凹んでおります。 こんな事わざわざ、人様に報告する様な事じゃあ無いと、思ってはいるのですが、同じような痛みで、悩んでる方や克服した方との情報交換のきっかけになるかもしれないので、一応したためておく事に致しました。 私、1月末で11年間働いた焼き鳥屋を退職しました。 個人の飲食店で、しかもお酒を提供する店で11年間従業員として働く人っていうのは、正確なデータはありませんが、少ないと思います。多くの人が

          伝説の暴力教師、三井朗

          三井はキレる前にニタァ〜っと笑う癖があった。少し吃りながら、 「山田ァ、おっ、おっ、お前」 来る! 胸ぐらを思い切り掴み上げられ、電光石火のビンタが炸裂。音が派手に響きわたる。めちゃくちゃ痛いが、ホッペが赤くなる程度で病院に行くほどではない。 そのまま、机に仰向けに押し倒して、おでこがくっつきそうな位の距離で怒鳴り散らす。 まるでアメリカのポリスの制圧術だ。 三井はポリスではない。看守でもない。 彼の職業は公立中学校の国語の教諭。 僕らの青春を真っ黒に塗りつぶした、張本人で

          伝説の暴力教師、三井朗

          シモキタ、エレカシ(後編)

          宮本浩次はギターの石君に向かって、実に冷たく、 「じゃ、ファイティングマン」 と言い放った。 石君がガニ股で、ギターをかき鳴らす。 ディストーションの効いた、乾いた音。 あまりエレカシに明るくない僕でも知っている、例のリフだ。 宮本は目ん玉ひん剥いて、拳をブンブン振りながら叫んだ。 「ぶぇいびぃ!ふぁいてぃんぐメぇァァァン!」 ライブは見慣れているであろう、下北の若者たちが固唾を飲んで、一点を見つめている。 宮本の眼差しは僕らの中に流れ込む。 これがエレフ

          シモキタ、エレカシ(後編)

          シモキタ、エレカシ(前編)

          2000年代半ば、場所は下北沢CLUB Que。 当時僕らの仲間内でも、特に勢いがあったバンド、パイナップルフリーウェイ、(通称パイフリ)のボーカル、シン君は口元で(シーッ)と人差し指を立てながら、声を潜めて僕らに言った。 「ナイショだけど今日、、、最後にエレカシ出るからね」 うん、、、知ってる。 だって、1週間ほど前、パイフリのギターの田村君から、直接電話があって「ナイショだけどエレカシ出るから来てね」って誘われたんだもん。 今日Queに来ている、メンツもほとんど同様

          シモキタ、エレカシ(前編)

          さよならGくん

          小学校4年生のクラス替えで、学年で1番の悪ガキのGくんと同じクラスになった。 ケンカが強い、顔が恐い。挨拶がわりに 「山田100円おごれッ!」1番乗りで童貞卒業。  大長編ドラえもんで、漢気や優しさを見せるジャイアンの方がよほどマシだ。 弱いものイジメは決してしないヤツだったが、いいヤツではなかった。 だけど、目が綺麗だった。茶色に薄紫が少し混ざったような。 そしてGくんと過ごした夏こそが僕にとって最高の夏休みになった。 毎日クワガタを獲りにゆき、ファミコンがオーバーヒ

          さよならGくん

          たまご工場

          たまご工場で働いた事がある。ええ、卵工場。 上京したばかりで、知り合いもツテも全くない僕はとりあえず求人誌に載っていた、当時有名だった◯ッドウィルという派遣会社に登録した。 その頃(1997年)日本は超氷河期と言われていて、就職はもちろん、アルバイトも完全に買い手市場でカッペで資格も愛想も無い僕に割のいい仕事を見つけるのは難しかった。 池袋で、相当テキトーな研修を終え、簡単な書類を書き終えるとあっという間に登録完了。 後は会社からの電話を待つだけだ。 その日のうちに連絡がき